韓の俳諧 (44)                           文学博士 本郷民男
─ 忘れられた朝鮮公論⑤ ─

 横井迦南(1881~1953)は京城で俳誌『草の実』を発行し、後には熊本の『阿蘇』主宰になりました。阿部誠文「横井迦南」(『朝鮮俳壇―人と作品』上巻所収)が、植民地時代の迦南を克明に追っています。しかし、『朝鮮公論』に初学時代の作品と俳号が埋もれていました。公論俳壇大正5年(1916)5月号から、龍山(ヨンサン)(現ソウル市龍山区)の彌生として登場しました。
夏近き青山椒や豆腐汁 5月号
赤糸をくはへて茅花くくる娘よ
厠から鳥の巣見ゆる山家哉
衣更へて太郎のありく青畳 6月号
苔深ふ読み得ぬ碑文若楓
昼の柝(たく=拍子木)に当番の汲む麦湯哉  8月号 
臍出して眠る鮮児や蝿群るる
夏痩せの顔背けけり帳場の灯 9月号
黍畑に夕立の風音立てし
荏苒(じんぜん=長々)と温泉に逗留の秋暑し 10月号
秋祭穂黍の中の行燈かな
芋洗ふ水すれすれや飛ぶ蜻蛉
鶏頭花鶏舎(とや)を移して庭狭し 11月号
国境に落日赤し秋の山
馬の荷の炭こぼし行くや秋の山
■人 11月号
龍山鉄道官舎七九號五戸     彌生 横井時春旅の子に縫ひ急く妻や鶏頭花
枯菊の根に爐開きの灰捨てし 12月号
暮れて着く枯野の宿や兎汁
■天 12月号
龍山鉄道官舎七九ノ五        彌生 横井時春父の意に背き来し眼に枯野見る
 架蔵の『草の実』が編輯兼発行人横井時春となっているので、特選の天と人で、横井迦南の初号が彌生とわかりました。『迦南句集』の年譜には、大正5年から俳句を始めたとあります。3月から始めたので彌生を俳号として、5月号から入選したようです。それも、三句・二句と複数句です。その年の内に公論俳壇の頂点に到達と、実に早いです。
 横井迦南は妻が亡くなった後を追うように自殺しました。『迦南句集』は死の翌年に、阿蘇で編集・発行しました。それには、横井時春という本名への言及がないです。昭和22年『俳句年鑑』に、迦南の本名が「時春」とあるくらいです。そんなことで、朝鮮公論の「龍山 彌生」という投句に誰も気がつかなかったのでしょう。
 俳号の迦南は、旧約聖書に出る地名です。創世記で神がアブラハムにカナンの地を与え、移住を命じました。英訳でCanaan、漢訳で迦南ですが、原語とは表記や発音でぶれが大きいようです。アブラハムはユダヤ人の祖先で、カナンはパレスチナです。