韓の俳諧 (60)                           文学博士 本郷民男
─ 臼田亞浪の進出④ ─

 雑誌『石楠』1925年(大正14)12月号を見ることにしましょう。
   山火鈔
桑ほぐし居れば夜明くる霧の聲 福永巨明
潮くさき汝が背はなれぬ蜻蛉かな
   秋光鈔
拾はれ木の實影作りぬる夜の縁 朝鮮 横山柯子
降る木の實月夜の草と眠らむか
水打つて夕べの笛の親しかり 京城 庄司鶴仙
風に聲さらす千鳥よ月白し 朝鮮 三崎松華
  🔲京城盟楠會(第二回)
 洪水のおびえも去つた8月1日夕刻より華垣居に開く。出席者8名。
蟬なくや霽れし並木の雨雫 丙城
行水の盥に桃の浮葉かな 舟芳
行水や垣から透ける隣の灯 流東
蟬くくる子に寄つてきて子の騒ぐ 朝子
初蟬や椎の葉裏に風もなく 為棲
夕蟬やいよいよ凪ぎて汐明り 黄耳
行水や枝につりたる豆ランプ 青波
蟬鳴くや洪水あとしるき岸並木 華垣
 山火鈔は幹部同人の雑詠で、福永巨明(宇一)は1899年に大阪で生まれました。早くから句作をして、石楠で大阪在住の幹部同人となっていました。ところが、この号に載ったあとに京城へ移住し、幹部同人を退きました。京城で書店商をしながら石楠の一般会員として、投句を再開しました。その後に大阪へ帰り、幹部同人に復帰しました(〔福永巨明 大阪人。温柔の性、温柔の態。その句また温かな才氣と仄かな香味を持つ。〕臼田亞浪「石楠の人々とその主張」)。
 秋光鈔は会員雑詠です。横山柯子は七句で三席になっています。三崎松華は百済の古都・公州に住んでいました。
 京城盟楠會は前号で紹介した「石楠京城支社」と同様に、石楠の京城支部でしょう。8月の例会が、12月号に載りました。『朝鮮公論』の同年12月号の公論俳壇の末尾に、次のように書かれています。
      京城 大橋華垣(故人)
山の上に灯が見えてをり秋の雨
 『石楠』に載ったこの句会報は、大橋華垣の遺稿となってしまいました。そのため、京城の石楠支部は、もっぱら庄司鶴仙の家を会場として活動したようです。
 参加者の中に今西舟芳(憲明)がいます。舟芳は1879年に岡山県で生まれた柔道家で整骨院を営んでいました。植民地時代に俳句の中心地であった木浦(モ ッポ)で活躍しました。木浦のホトトギス系俳誌『カリタゴ』の例会が、広い今西道場で開かれました。舟芳は京城で俳句を始めて、『石楠』に入りました。舟芳は京城の次に光州(クワンジュ)へ移住し、光州に河鹿吟社ができたので、加入しました。最後に木浦に移り、『カリタゴ』の会員となりました。辺境の俳人は流派を選ぶといった贅沢ができず、近くの結社に属するのです。