鑑賞「現代の俳句」 (152)                     蟇目良雨

文かよふのみとなりけり雁渡し島田万紀子[馬醉木]

「馬醉木」2020年11月号
 「雁が渡ってくる秋になりましたが、これまでよくお会いしていた方が手紙のやり取りだけになってしまいました。」と嘆かれている句である。
 何も雁が来る頃と組み合わせなくてもいいのじゃないかと仰しゃる方がいれば、いいえ、ここがこの句の眼目なのですよと言いたい。古来中国では渡り鳥の雁に文を結び付けて遠隔地の便りにした故事があり、それを雁信、雁書と呼び習わしてきた。古典の世界に遊ぶ作者を見習いたいものだ。

包丁に錆を許さず蛇笏の忌奥名春江[春野]

「俳壇」2020年11月号
 飯田蛇笏の忌日十月三日に際しての作者の思いが「包丁に錆を許さず」に出ている。毎日包丁を使う主婦が包丁の錆を許さないほどに自分に厳しいかどうか私は知らない。板前なら包丁は命とばかり研ぎ上げて錆など許さない厳しい態度であることは知っている。掲句は作者の心情を詠ったものなのだろう。「私は包丁に錆が出ることを許さない、それは蛇笏の厳しさに一脈通じるところがあるからだ」と納得している作者。

出来の一書と夜長親しめり水田光雄[田]

「田」2020年12月号
 出来(しゅったい)の一書とあるからには相当作者にとって大切な書なのであろう。夜長を共にして親しく過ごすのに相応しいと納得しているのである。一生に何度かはこうした好機が人に訪れるのである。

さみしさの捨てどころなくひよんの笛松岡隆子[栞]

「栞」2020年12月号
 「心にあるこの淋しさをどこに捨てようかしら。捨てるのに適当な場所が見つかりません。あ‼瓢の笛を見つけました。この笛の中に吹き込んでしまいましょう。」という句意だと思う。淋しさがあったら瓢の笛を吹いてみましょう。たしかに瓢の笛は楽しい時は吹かない気がする。

肩の荷を一つ下ろして夏果つる関成美[多磨]

「多磨」2020年12月号
 どんな肩の荷だったのだろうか。冬果つるではだめなのかしらと考えているうちに、やはり夏果つるが相応しいと思えるようになった。この句は老人の句そのものである。冬の寒さに耐えるのなら冬籠りがある。夏はそうはいかない。酷暑は老人を苛め抜く。我が師盤水も十年前の酷暑に負けてしまった。嘗て「かびれ」門で学んだお二人の繫がりからあれこれ想像する。

翁へと登るほそ道秋しぐれ松浦敬親[麻]
「麻」2020年11月号
 この句の眼目はほそ道を「登る」にある。「辿る」とか「続く」とかの言葉もありそうだが、作者は敢えて「登る」を選んだ。それは作者の芭蕉への探求心の凄まじさを知れば納得できる。芭蕉を知るためにどんな細道でもよじ登って見せますよという求道者の覚悟である。

自然薯を掘りて気儘に暮らしをり太田土男[草笛]

[草笛]2020年12月号
 スーパーで自然薯が売られる時代であるが、もともと自然薯は山間部に住む人が、若葉が出た頃から目印を付けておいて秋に掘り出す代物であった。栄養価の高いことから山間部では鰻の生まれ変わりと信じられた貴重な物。掲句は自然薯を中心に生活が回っていることを窺わせ、自然薯を掘るときのうきうきした気分まで伝わってくる。作者の桃源郷なのであろう。同時作〈虫時雨牛舎泊りとなりにけり〉虫時雨が余りにも素晴らしいので今夜は牛舎の隅を借りて寝るなど大自然にどっぷりの羨ましい生活がある。

あてもなき紙縒をあまた夜の秋藤埜まさ志[群星]

[群星]2020年12月号
 紙縒を撚る光景から父のことが思い浮かぶ。煙草好きの父は煙管やパイプの脂を取るために暇があれば紙縒を撚っていた。作者はかなりの量の紙縒を撚っているようだが何のためなのだろう。我が家では現在、妻の胃瘻の周囲を保護するために備蓄してある。

松籟のはつかに日向ぼこりかな伊藤康江[萌]

[萌]2020年12月号
 日向ぼこの句だが抑えた表現から立ち上る余韻が素晴らしい。日向ぼこをする人には松の梢を吹く風の音が微かに聞こえているだけである。松林の中にある大きな屋敷の庭で、周囲が高い塀に囲まれ雑音を遮り松籟を聴きながらの日向ぼこの光景を思い描いた。

どぶろくの夜や鳥になり虫になり宮田勝[萌]

[萌]2020年12月号
 どぶろくを飲んで酔った自分を客観視して出来た作品。ある時は鳥のように飛び回ったかと思うと、ある時は虫になって地上を這いずり回っている。分かる気がする。

(順不同・筆者住所 〒112-0001 東京都文京区白山2-1-13)