鑑賞「現代の俳句」 (31) 沖山志朴
原爆に焼けし乳房を焼けし子に川上政子
血みどろの夏服を裂き脱がせけり兒玉生城
[俳句界 2023年 8月号句集『広島』を読むより]
筆者は、もう30年も前に、長崎の中学校を訪問したことがある。その時の校長先生の話が忘れられない。「この学校も、原爆の被害に遭いました。犠牲になった生徒や教職員は、500人とも、600人ともいわれていますが、いまだに死者の数すら分かっていません」。
日本人にとって8月は、永遠に追悼の月。〈八月や六日九日十五日〉という、よく知られた句がある。作者は複数人という特異な句。広島、長崎の原爆の投下、そして、終戦記念日。それぞれ日本中の人たちが心を痛めずにはいられない特別な日である。俳句界の8月号では「句集『広島』を読む」と題した特集を組んだ。『広島』は昭和30年8月に句集広島刊行会によって発行され、一般公募作品1500余句を掲載する原爆句集。
落鮎の群れて争ふこともなく手拝裕任〔岬〕
[俳句四季 2023年 8月号より]
春から初夏にかけて、川を遡上した鮎は、川底の苔を食べて成長する。その苔を確保するために、鮎は一定の広さの縄張りを持つ。そして、その縄張りに侵入してくる鮎がいれば、生きるために懸命にこれを追い払う。この習性を利用したのが、友釣りである。
激しく縄張り争いをしていた鮎も、やがて秋を迎えると、産卵のために群になって河口へと下り始める。それが落鮎。餌をとることも減り、仲間同士の争いもしなくなる。掲句はそのような鮎の対照的な行動を詠った句。鮎の生態を十分に知り尽くした人の句である。
電池切れしたかも知れぬ青蜥蜴栗原実季〔森の座〕
[俳句四季 2023年 8月号より]
過日、筆者は真昼の舗装路の真ん中で、一匹の青蜥蜴を目にした。不思議に思い近づいてみたが、一向に逃げる気配がない。棒で突いてみても動かない。どうやら今夏のあまりの暑さに路上で息絶えてしまった様子。
掲句の青蜥蜴は、せわしなく動き回る蜥蜴である。その青蜥蜴が、急に動かなくなった。静止した状態がしばし続き、おやっと思ったのであろう。その静止した様子を、電動のおもちゃの電池切れに見立てている。俳味あふれる新しい感覚の句である。
ライオン舎象舎キリン舎終戦日大竹照子〔地祷圏〕
[俳句界 2023年 8月号より]
ライオン、象、キリンの三種類の動物の畜舎と、終戦日を取り合わせただけの句である。表記もカタカナと漢字のみで、ひらがなは使われていない。さらに助詞も、動詞も使われていない。しかし、インパクトのある句である。
「戦時猛獣処分」という言葉があった。戦時下、動物園の猛獣が逃げ出し、人に危害を加えるのを防ぐために殺処分したことをいう。処分は、薬殺とともに、餓死という方法が採られたが、とりわけ、餓死させられた動物たちの末路は悲しい。俳句は想像の文芸。その想像力をかきたる見事な工夫のある句である。
たましひを奪ひさうなるねぶたの眼浅井陽子〔鳳 運河〕
[俳句四季 2023年 7月号より]
ねぶたの制作に関わっている人の話によると、ねぶたの制作でいちばん神経を使うのは、顔造り。最後まで顔にこだわり続けるとのこと。とりわけ、眼の制作には時間を掛けるそうだ。どのねぶたの眼も細やかに描かれ、活き活きしていて、実に迫力がある。
立体感、躍動感溢れる華やかなねぶた。見物客の関心が向くところがこの眼。その魅力を「たましひを奪ひさう」と印象的に表現したところが手柄である。
稲刈られ地球ゆっくり力抜く中村克子〔響焔・地祷圏〕
[俳句 2023年 8月号より]
秋から冬へ掛けての静かな季節の移り変わりを、ユニークに描いている。
黄金色に色づき、風に揺れていた一面の田圃も、今では遙か彼方まで刈り取られ、寂寞とした光景に変わってしまった。遠くの山々も少しずつ色づき、動から静の世界へと移ろうとしている。そして、やがては眠りにつき、来たる春に備える。大地そのものをひとつの命として巨視的に捉えた手法が功を奏した。
葭切や女船頭艪をしぼる 加古宗也〔若竹〕
[俳句 2023年 8月号より]
戦後の子供時代、漁村で育った筆者も何度か艪を漕いだことがある。艪臍に艪杭をはめ、左右に動かしながら漕ぐのであるが、コツを取得するまでに時間がかかる。掲句の女船頭さんは、おそらくベテランなのであろう。「しぼる」にその技術の高さが伝わってくる。
観光用の船なのかもしれない。一面の葦原の中に鳴き続ける葭切の声々。滔々と流れる川。その中に混じる艪のきしむ音。長閑な水辺の光景が脳裏に広がってくる。心休まる一幅の絵を見ているような句である。
(順不同)
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