古典に学ぶ (78)令和を迎えて読み直す『万葉集』の魅力
─ 「梅花の宴」の意味するもの⑥
実川恵子
「梅花の宴」もいよいよ終盤にさしかかった。残すところ七首である。前号の田氏真上(でんじのまかみ)(839)に続き、村氏彼方(そんじのをちかた)の次の歌(840)が並ぶ。
春柳縵(かづら)に折りし梅の花誰か浮かべし酒杯の上に
(春柳の縵に折ったのと、梅の花とを誰が浮かべたのか、この酒杯の上に)
この歌は、酒杯に散った花を詠んでいる。これは、盃の上に散った花を、誰かが散らしたように見立てたもので、盃に梅の花を散らした風流なわざを称揚した歌と考えられる。梅の花の散る歌はさらに続き、841・842・844・845へと引き継がれていく。843歌土師氏御道(はにしうじのみみち)は、「散る」花という点では前歌(842)と直接にはかかわらず、内容は望郷の歌である。これは、今までの歌の流れに対する転換を意図した結果であろう。しかし、第4句「遊ぶをみれば」は、前歌の「遊び」を承けており、さらに上3句「梅の花折りかざしつつ諸人の」には、神司荒氏稲布(こうじのいなしき)(832)の「梅の花折りてかざせる諸人は」を取り込んでいる。意図した転換は、全体のうたの流れを考えての上であったことがわかる。
この843歌が意図したところを、続く844の作者小野氏国堅(おのうじのくにかた)も845の作者筑前掾門氏石足(ちくぜんじょうもんじのいそたり)も無視しなかった。
妹が家に雪かも降ると見るまでにここだも紛う梅の花かも
(いとしい子の家に行きというのではないが、雪が降るのかと見紛ふばかりに、梅の花がしきりに散り乱れている。美しくも好ましい花よ)
うぐひすの待ちかてにせし梅が花散らずありこそ思ふ児(こ)がため
(うぐいすが待ちかねていた梅の花よ。散らずにあっておくれ。愛するあの娘のために)
844の初句「妹が家に」という表現が唐突に出ることから、理解しがたい歌とする見方もあるが、「行き」と「雪」とをかけたような修辞を用いている。この歌は前歌の望郷の表現「都しぞ思ふ」に反応した句であることは明らかであろう。実に見事だと思われる。
また、「ここだも紛ふ」ことをうたい、838から842まで呼応してきた「散る」花の縁を復活させてもいるのだ。さらに言えば、831は梅を擬人化した恋歌仕立ての「君を思ふと夜眠(よい)も寝なくに」の表現と繋がる。「妹が家に」の表現はこの歌を意識しているともいえる。前歌843の作者同様、この歌の作者も、前に詠んだ人々への挨拶も果たすことで、風雅というものも盛り上げている。
この「妹が家に」をとらえて「散らずありこそ思ふ児がため」とうたったのが次の845歌である。この歌は、散らぬことを願う「散る」花の歌である。散る美しさを述べる前歌に対して、鴬のために散らないでほしいと詠んだのは、今の咲き散る美しさをいつまでも持続させたいと願う心である。この一首は、838の「梅の花散り紛ひたる岡辺にはうぐひす鳴くも」への対応と上3句「うぐひすの待ちかてにせし梅が花」とは、待ちかねていてついにありついた花であるからであり、この宴の最終歌としての貫禄のようなものをも感じさせる。
以上のように、ここまで梅花の宴の席上で、31首が詠み継がれてきた。では最後に位置する846歌はどのような歌で、全体に対していかなる役割を果たしたのであろうか。
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