衣の歳時記 (91) 2017年10月号
秋になって着る服装の総称である「秋の服」。夏服の薄い素材や色合から、落ち着いた趣のものへと変わっていく。生地は保温性のある布が選ばれる。夏と冬の間に着る合着ともいわれ、着る期間はそれほど長くはない。副季語は「秋服」「秋の帷子」。
はいかい漫遊漫歩(72)(73)2017年10月号
2017年10月1日 はいかい漫遊漫歩
三笠宮崇仁親王が、平成28年10月、百歳の天寿を全うされた。終戦時は陸軍少佐の軍人だったが、戦後は古代オリエント史の研究者として東京芸大、東京女子大などの教壇に立たれた。そして、百合子妃(95歳)と『初雪』『夕虹』の二冊の夫婦合同句集を持つ“俳人宮さま”だった。 士農工商の封建社会、男社会だったはずの江戸時代、芭蕉の登場で全国に蕉風俳句の流れが広がった17世紀末から19世紀前半にかけて、驚くほど多数の女性俳諧師が活躍し、百冊に及ぶ撰集が板行されていた。夫の谷口楼川とともに江戸座の宗匠を務めた田女は「俳諧の清少納言」とも言える才女俳諧師だった。
自由時間 (52) 2017年9月号
2017年9月1日 自由時間
小泉八雲は、俳句(発句)を読んで評価した初めての西洋人である。彼は、俳句が重要な文学形式であることを英文で著わし、俳句をよく理解して敬意をもって英訳した最初の人である。こんな夫人の証言がある。彼は、発句が好きで、沢山覚えていて、廊下を歩きながら節をつけて朗詠していたという。また、「ホトトギス」も毎号読んでいたという。
曾良を尋ねて (97) 2017年9月号
2017年9月1日 曾良を尋ねて
芭蕉と曾良は良兼の祥月命日の墓参のために村上に着くように日程を組んだ。松平良尚に忠輝が正字(曾良)が武士として生きられるよう頼んだのではなかろうか。
子規の四季(84) 2017年9月号
上に掲げたのは、松山市立子規記念博物館に「子規のペンネーム」として展示されている四十二の雅号。展示は子規の自筆を写真パネルにしたものだが、読み方についての問い合わせが多いということなので、上記にはふりがなを付した。 子規の初期の随筆『筆まかせ』(明治23年)に「雅号」という短文がある。その中で、子規は日本で雅号の多いのは滝沢馬琴、太田南畝、平賀源内の三人で、一人で十余の雅号を用いたと述べている。そして子規自身の雅号はといえば、この一文に登場するものだけで実に五十四にのぼっている。
衣の歳時記 (90) 2017年9月号
9月の1日から3日間、富山県八尾町で行われる「風の盆」。町中が仕事を休み、雪洞を灯し、夜を徹して「越中おわら節」を歌い踊る。盆踊でも神事でもない特異な情緒あふれる地域芸能である。副季語は「おわら祭」「八尾の廻り盆」。
枕草子のおもしろさを読む(4)2017年9月号
2017年9月1日 古典に学ぶ
星の伝説は、上代において七夕伝説が『万葉集』や『懐風藻』に見えるが、中国からの伝説の域を出ず、「明星(あかほ し) 」は、「あかほし」の「あくる」にかかる枕詞として、『万葉集』などに見えている。また、「夕づつ」や「流星」などの名が見える程度であり、平安時代になっても、それ以上の星の名は見られないが、『枕草子』には「すばる」の名が出ているのである。「すばる」のどのような点が気に入って「星は すばる」と清少納言が描いたのかは不明だが、この名を記録したのは注目に価する。