春耕俳句会は、有季定型の俳句と和楽の心で自然と人間の中に新しい美を探求します。第五感・第六感を働かせた俳句作りを心がけます。
連載記事 - 月刊俳句雑誌「春耕」掲載

曾良を尋ねて(90)2017年2月号

伊達騒動と酒井雅楽頭忠清

鑑賞 「現代の俳句」(105)2017年2月号

氷瀑をしばらく雨の叩きけり   奈良文夫[萬緑]

子規の四季(77) 2017年2月号

左千夫が現れ、秀真・麓もやって来た。左千夫は大きな古 釜を携えて来た。茶をもてなすためである。釜の蓋は近ごろ 秀真が鋳造したもので、つまみの車形は左千夫の意匠だとい う。麓は持参した利休の手簡の軸を釜の上に掛けた。  この日のもてなしの内容は、3月2日付の「墨汁一滴」に 詳述されている。 氷解けて水の流るゝ音すなり  子規

衣の歳時記 (83) 2017年2月号

─ 角巻 ─ 1月に次いで雪の多い2月。太平洋側では日脚が伸びるのを実感できるが、北海道や日本海側は降雪が続く。人々は降り積もる雪の中で淡々と暮らし、遠い春を辛抱強く待つのである。

伊勢物語の面白さを読む(31)2017年2月号

『伊勢物語』の初段を元服したばかりの昔男が正妻となるべき女性に出会った話と読み、それ以後第十五段までを、后がねの姫君との大恋愛の末に、都を追われて東下りの旅に出、別れてきた恋人や妻のことを思いながらも旅先で現地妻を得たりするという、恋と漂白の物語として読むと、色好みの貴公子昔男の青春の日々を描いた印象的な物語として読者に迫ってくる。

はいかい漫遊漫歩(56)(57)2017年2月号

“俳句の神様 ”が一人の俳趣味の男を動かし、俳句史から抜け落ちるところだった“放浪俳人”井上井月を発掘した。男の名は、長野県伊那出身の文人医師、下島空谷(本名勲 1870―1974)。1927年7月に自死した芥川龍之介を看取った主治医である。ちなみに芥川は死の直前、空谷宛てに〈自嘲 水洟や鼻の先だけ暮れ残る〉と書いた色紙を遺した。

自由時間 (44) 2017年1月号

時は元禄15年12月14日(1703年1月30日)本所松坂町の吉良邸の門前に赤穂浪士四十七人が集結した。おなじみの揃いの火事装束は芝居や映画での話で、本当のところは、まちまちの頭巾をかぶり、籠手をさし、名前を書いた黒い小袖に鎖帷子を着込んで襷を掛け、色とりどりのたっつけ袴を穿き、足袋に戦陣用の草鞋という出で立ちであったようだ。この事件を題材に書かれたのが『仮名手本忠臣蔵』である。わが国演劇史上最高傑作である。初演は寛延元年(1748)、松の廊下刃傷事件から47年後、赤穂浪士の人数を意識したのかもしれぬ。

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