子規の四季 (72) 2016年9月号 仰臥漫録
明治34年(1901)9月2日(月)。この日から、子規は『仰臥漫録』の執筆を始めた。執筆のきっかけは、寒川鼠骨に みそはぎ みそはぎ よると「土佐の俳人から贈つて来た土佐半紙が大判物で質のよいものであつた所から、ふと斯うした手記を試みる気になられたものである」という。それ以前の日記『墨汁一滴』や『病牀六尺』
衣の歳時記(78) 2016年9月号
─ 秋彼岸 ─ 緩やかに秋へと移ろう九月。「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるように、彼岸は時候の変わり目でもある。畦や土手に曼珠沙華が咲く中、墓参に訪れる人が跡を絶たない。
伊勢物語の面白さを読む (26) 2016年9月号
2016年8月24日 古典に学ぶ
惟高親王、歌をかへすがへす誦(ず)じたまうて、返しえしたまはず。 紀の有常、御供に仕うまつれり。それが返し、 ひととせにひとたびきます君待てば宿かす人もあらじとぞ思ふ
はいかい漫遊漫歩(46)(47)2016年9月号
2016年8月24日 はいかい漫遊漫歩
加賀千代女(1703-1775)、谷口田女(1713-1779)、豊田屋哥川(1716-1776)は、江戸時代中期に加賀、江戸、越前にあって、ほぼ同時期に活躍した女流俳人。
俳句時事(172) 作句の現場「那智火祭」2016年8月号
那智火祭は那智大社の例大祭の一つで、毎年七月十四日に行われている。もとは那智の滝にあった社が那智山中腹に新しく造営されるとともに、神々を神輿で移した神事から始まったものと伝えられている。 ーでの朱鷺は数年前に見たが、野外での朱鷺 は初めてであった。
自由時間 (39) 2016年8月号
2016年7月22日 自由時間
中村八大、いずみたくという優れた作曲家に恵まれていながら永六輔は作詞をやめることを宣言する。二人は仲良しであるがライバルでもあり、その板挟みのようになったようだ。また、印税を頼りにしていると、等身大でいられなくなる不安があるから、という理由もあったらしい。 作詞をやめて始めたのは、収入にはつながらない俳句だった。