子規の四季
子規の四季 (72) 2016年9月号 仰臥漫録
明治34年(1901)9月2日(月)。この日から、子規は『仰臥漫録』の執筆を始めた。執筆のきっかけは、寒川鼠骨に みそはぎ みそはぎ よると「土佐の俳人から贈つて来た土佐半紙が大判物で質のよいものであつた所から、ふと斯うした手記を試みる気になられたものである」という。それ以前の日記『墨汁一滴』や『病牀六尺』
子規の四季 (71) 2016年8月号 草花帖
明治35年(1902)8月1日(金)晴。 子規は、渡欧した中村不折から預かった画帖を無断で貰い受け、「草花帖」と名づけて写生を始めた。すでに6月からは「果物帖」の写生をしていたから、8月6日までは2つの画帖が並行して画かれたわけだ。
子規の四季 (70) 2016年7月号 果物帖
子規は「果物帖」を画きはじめた。連日モルヒネを服用するほどの病苦をまぎらわすため、画帖に身辺の果物を写生しようと思い立ったのである。大好きな果物を、これも大好きな絵にすることは、子規にとって何よりの慰めになったことだろう。
子規の四季 (68) 2016年5月号 病牀苦語
子規の「病牀苦語」の冒頭の1節。署名は「子規口述」となっており、病床で筆を持てない子規が口述し、妹・律が筆記したものと考えられる。 此頃は痛さで身動きも出来ず煩悶の余り精神も常に穏やかならんので、毎日二三服の麻痺剤を飲んで、それでやうやう暫時の麻痺的愉快を取つて居るやうな次第である。