「晴耕集・雨読集」4月号 感想 柚口満
八十路なほなす事あらむ竜の玉 池内けい吾
けい吾氏は現在春耕の同人会長であるとともに春耕誌の編集顧問として毎月の誌面作りに多大な貢献をされている。最近の氏の作品を見て感ずることは、80という年を越えられた感慨をごく自然体に詠まれる佳句が散見されることである。
この句は、竜の玉を見ながら今の自分がまだなすことは何であろうかと自問される姿である。葉のなかに深い色を秘めて目立たぬ竜の玉という季語が動かない。さきの同人句会に氏は「今少し生きるつもりの朝顔蒔く」を出された。名乗りの声を聞いて大いに納得をしたものだった。
話したきことありさうに寒鴉 古市文子
寒鴉の句というと皆川盤水先生の「寒鴉雲を見てゐてゐずなりぬ」を思い出す。自分の目に焼き付いていた寒鴉が雲を見ている一瞬にいなくなった、との把握は逆に鴉の存在を拡大させた。かように寒中の鴉は人里にあって身近なものになる。作者はそんな鴉を見て上五、中七で「話したきことありさうに」と描写した。ここが眼目、餌のない厳しい冬を生き抜くためには必死に訴えるものがあったのだろう。
海女小屋の榾に海老反る女正月 乾佐知子
女正月、小正月は1月15日、一般的には松の内に家事に追われた女性たちがほっと息をつく日ともいわれる。
しかしこの句は海女さんたちの女正月を詠んでいて意外感がある。小屋に集まった海女さんたちは炉の榾火を囲み楽しんでいる。反り返るぐらいの大きな海老が見事だ。包み隠しのない大きな笑い声が聞こえてくるようだ。
横綱の手のわしづかみ追儺豆 久重凜子
枡の底見せて豆撒終へにけり 山岸美代子
今月号には節分、豆撒きの句が散見されたが、その中から2句を取り上げてみた。
豆撒きは鬼は外、福は内と声をあげ豆を撒く宮中の「追儺」が民間に広がったもので、最近では神社、仏閣で年男、年女や知名人が豆を撒く。
久重さんの句は、横綱の豆撒きに注視。巨大な手で大量の豆を鷲摑みにして豪快に撒く様が手に取るように判る句。一方、山岸さんはその豆撒きの最後の様子のささやかな一瞬を捉えている。何回も枡を替えて豆を撒いていた人が最後にその底をみんなに見せて終えたと詠む。いずれにしてもこういった行事を句にするには、他の人とはひと味違った観察眼で詠むことが大切だということである。
百号のカンバス仕立て春を待つ 宇井千恵子
この句の作者の近辺には本格的に画を描く人がいるのであろう。その画家は来るべき春を前にカンバスの制作に余念がない。百号という大きさはかなりのもので長辺が162センチ、もう一辺が110センチほどのものである。枠に画布を張り付けて春の風景を描くのを楽しみにしている光景だ。こういう待春もあるのだと感じ入った。
吊橋に続く板橋梅探る 鎌田とも子
このせちがらい世の中で探梅といったある意味心に余裕のある行動をとる人はどのぐらいいるのか、と思ってもみる。しかし、俳人は探求心が旺盛である。句材にも恰好な吟行である。
掲出句の眼目は「吊橋に続く板橋」であろう。もとより冬のあいだに梅を探しに行くのであるから、いろいろな所に分け入らなければならない。その大変さが吊橋であり板橋なのである。
山焼の炎なぞへの竜と化す 小池伴緒
大規模な山焼きを詠んだ一句である。山焼きの他に野焼、畑焼などがあり、この焼畑農法は火を扱うことを覚えた人類が残した歴史の象徴とでもいえようか。
山の斜面を風を味方につけて這い上がる巨大な焔、その様子を作者はまるで天に登りゆく竜の化身であったと詠む。山焼きの壮大さがよく出た一句。
逸れ来たる鞠にどよめく初蹴鞠 藤田壽穂
新年を迎えて初めて行う蹴鞠の儀式が鞠始である現在も京都の下鴨神社で1月4日に行われるものが有名である。鹿革製の鞠を革の靴で蹴り上げ地面に落とさぬよう廻してゆく競技で公家の間で流行った。
大きく逸れた鞠に観衆がどっと沸くさまがお正月気分にあふれ誠にめでたい。
軒氷柱ひがな滴る気配なし 本間ヱミ子
佐渡の本間さんの作品。今年の冬の佐渡は大雪と寒さで大変だったと聞く。そんなことが窺われるのがこの一句。くる日もくる日も太陽が覗かず、大きく長く垂れた軒の氷柱は雫を落とす気配もない。具体的な描写が 過酷な気象条件を物語る。
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