「晴耕集・雨読集」6月号 感想  柚口満

菊坂のくらがりに入り春愁ふ
蟇目良雨
 東京・文京区の菊坂はこの句の作者のホームグランドである。『駿河台』『神楽坂』に次ぐ第3句集は『菊坂だより』とされた。その句集のあとがきでは、菊坂の近くに腰を据えてから文筆の香にまみれた生活が身に付いてきたように思う、と述懐している。
 度々歩を運ぶ春の夜の薄暗い菊坂、その中で覚えた微妙な春愁とはどんなものであったかは判らない。来し方の人生を、あるいは樋口一葉の面影を探したのだろうか。    

さくら見の一本で足る齢かな 石鍋みさ代
 この掲出句も春愁の思いがつまった一句であろうか。
最近の俳句界の話題の中心は高齢化のことである。かくいう自分も今年に入って後期高齢者の域に入ってしまった。
 この作者も桜の季節を迎え、その齢をいやが上にも感じられている。昔ならひと山の桜を見て回ったのにいまは1本の桜見物で事足りるという。しかしものは考えよう、1本の桜を凝視することで教えられるものも多いはずだ。

縦に組み速度増しゆく花筏 沢ふみ江
 俳句を知らない人に花筏の意味を説明したことがあるが、その人はその美しい季語に感銘を受けていた。
水面に散った花びらが流れゆく様を筏に見立てた発想は素晴らしい。
 さて、掲出句はその落花が流れゆく様を的確かつ斬新な写生で表現して成功している。筏の列が縦に組み替えたときにその速度が増したというのだ。対象への惜別の念が濃い。

焼香の列へ御堂へ囀れり 萩原まさこ
 われわれ「春耕」とご縁が深かった高幡不動尊の川澄祐勝大僧正の本葬が今春の3月16日に同寺で行われた。ご貫主を偲ぶ会葬者の列は門前町にも及んだ。
 長い長い大日堂までの焼香の列には裏山からの囀りがしきりに降りそそぎ多くの人々の胸に沁みた。また真言宗智山派管長以下120名を超える御僧の読経の調和の美しさは今もこの耳に残る。

カタカナの名札の多き苗木市 山﨑赤秋
亡き父の話飛び出す苗木市 松川洋酔
 苗木市を季語とした2句を挙げる。3月、4月ごろは庭の木や草花等の苗の移植に良い季節といわれ寺社の縁日などに植木市とともに苗木市が立つ。
 赤秋さんの句、ひとつひとつの苗木には名札がついているのだが、その名はほとんどがカタカナだったという発見。カタカナ、すなわち洋花の類の花の苗が所狭しと並んでいたのだ。カタカナの花が美を競う春本番は目前だ。
 一方の洋酔さんの句。苗木市を散策している途中で今は亡き父上の話が突然出てきたという展開が興味を引く。父が好きだった花の話だったのか、懇ろな花壇造りの話だったのか、いずれにしても草花を愛されたお父さんであった。

仔馬跳ね風あらたなる尻屋崎 鈴木志美恵
 「春耕」同人の畑中とほるさんの案内で先年、下北半島北東端の尻屋崎を巡ったことがある。海霧の流れが印象的だった。
 岬には寒立馬と呼ばれる馬が放牧されいるが、その仔馬を詠んだのが掲出句。生まれたばかりの仔馬が母馬のまわりでとにかく嬉々と跳ねまわる。長い冬を終えた春の新しい風が嬉しい。人間にとっても動物にとっても待ちに待った季節の到来だ。同時出句の「暮るるまで野馬食み惜しむ涅槃西風」も佳句。

三寒四温畳にひらく世界地図 市川春枝
 三寒四温は晩冬の季語、文字通り3日ほどの寒さが続くとそのあと、4日ほどの暖かさが続くというもの。
待春の気持ちが籠められている。
 世界各国への旅を楽しみにされている作者。暖かさに誘われて大きな世界地図を畳に拡げ今度はどこへ行こうかと思案中、広い世界への旅ごころは元気な印。

花の夜の畳に座せる安堵かな 小林黎子
 桜見物をしたその夜の感慨を1句にしたためたものだろうか。心情に深く訴える1句である。
 咲き誇る見事な桜に酔いしれた1日、人出の間を縫うのも大変だった。帰宅して我が家の畳に座した時のえも言われぬ安堵感とはどんなものであったか。静かな興奮をひめた心地よい疲れといったところか。

雪解川星降る夜もがうがうと 結城トミ子
 大自然の営みを詠んだ美しい佳句である。この雪解川は山形県を貫流する最上川であろう。200キロ以上の長さを誇る大河の雪解水の奔流は想像もできない位の迫力であろう。全天に星が瞬く夜を轟音と共に流れる雪解川。まさに自然の驚異であり美でもある。