「晴耕集・雨読集」  12月号 感想          柚口
  

折々は雲を抜け出て今日の月池内けい吾

 昨年の仲秋の名月は10月1日で満月の1日前であった。暦の関係でこういうことはよくあることである。最近はコロナ禍のこともあり上天の月を眺めながらそれを愛でる心の余裕もなくなった。とはいこの荒んだご時世、美しい月を見ながら心を鎮めたい思いも極めて大きい。
 さて掲句の作者が見た名月は雲の間を出たり入ったりしたと詠む。満天に一朶の雲のない中の月も勿論いいものだが雲を出入りする月こそ趣があるということであろう。上五から中七の表現に暫く佇み続けて名月を堪能した姿がある。

絶壁を浪かけのぼる雁渡し畑中とほる

 雁渡しは漁師たちが出漁が難しいという北風で、この頃雁が渡ってくるので「雁渡し」と呼ばれている。作者は青森の下北半島・むつ市にお住まいであるからその風は一味違う趣のあるものではと推察する。
 半島の岬に打ち付ける北風は日に日に強さを増し、荒々しい海岸線の絶壁に砕ける波は一気に駆け上る勢いだと描写する。この風を意識すると今年もまた雁が棹をなしてくるのだと感慨を深くするのだ。

星を見てより夏の夜の深睡り井出智恵子 

夏の夜、ときいてどんな情趣が思い浮かぶだろうか。都会では闇の感じが薄れてただ暑いだけの夜、短い夜、などが連想されるが自然豊かな山や高原、海などではまた違った夜が体験できる。
 この句の場合も人工の光のない闇の中で空を埋め尽くす星空を見上げている姿を想像してみた。親しい仲間と星座探しに興じたあとはぐっすりと熟睡したという。健康感がみなぎる一句である。

水落し空の落着く信濃かな萩原空木

 作者から先ごろ「五十年ぶりの故郷暮らし、冷えています!」とのお便りをいただいた。生まれ故郷の長野県上伊那郡に戻られ久々の新年を迎えられたのだ。
 掲句はその信濃の落し水を季語に詠まれた一句である。山あいの田の稲が稔り始め稲刈りに向けて田水落しが始まった。同時に故郷の広い空が落ち着いたと、実感された。久々に故郷に戻りあの青年時代の感性が見事によみがえった、ということだろう。堂々たるタテ句であり自信をもって短冊に記してほしい。

括られて影を失ふ乱れ萩坂﨑茂る子

 萩という漢字は草冠に秋と書く。萩は七草の一つであるとともに秋草の王者とも位置付けられ古くから日本人にその風情を愛でられてきた。万葉集でも萩の花が多く取り上げられ梅はこれに続いたのである。
 それだけに萩の初めから終りまでが様々な角度から鑑賞されその折々の姿が歌や俳句に詠まれたが、ここに掲げた句はその終焉を詠んだものである。衰えた萩がいよいよ括られその影が失われたと見たのが眼目。そこはかとない萩の終りの寂しさが表現された。

をちこちにきらめく池塘大花野杉原功一郎

 この句がどこで作られたのか不明であるが、句の美しさから私は月山八合目の弥陀ヶ原湿原をとっさに連想してしまった。先師の皆川盤水氏、そして主宰の棚山波朗氏らとはこの湿原を経て月山へ登った懐かしい記憶がある。
 短い夏、そして初秋の湿原には沢山の高山植物が群れ咲き大花野を展開、付近に点在する池塘の水面は白い雲を映しえも言われぬ光景をみせていた。掲出句も煌めく池塘が大花野を大いに引き立てている。

ひぐらしを合図に仕舞ふ畑仕事大西裕

 この句は蜩という季語を起点にして日常のさりげない生活を詠んだ一句である。畑仕事をする人は朝は何かをメドに仕事を始め、役場の正午のサイレンが昼ご飯の合図になっていたのかもしれない。
 そうして夕方の仕事のおしまいは蜩が鳴き始めたのを潮時だとしたのだろう。あの物悲しい印象的な声は労働に疲れた人に恰好な癒しとなった。

新涼や柾目の匂ふ利休箸佐藤昭二

 杉の芳香が匂う利休箸に新涼を感じたという一句。利休箸というのは文字から判るように千利休が用いた箸だ。利休は客を招く朝に杉を削ってその香りでもてなしたという。
 作者は懐石料理でも食されたのであろう。その席で出てきたのが利休箸、杉材の柾目模様が美しく程よい匂いに感激、新涼感をたっぷりと味わった。

用も無き瓢を育て恙なし濱中和敏

 なんの当てもなく知人から瓢簞の種をもらった本人は庭の一隅を使って育て始めた。芽が出て大きくなり支柱から棚へと育つ瓢にいつしかそれが楽しみになったのだ。百年に一度といわれるコロナ禍にあって日々恙なく暮らせる有難さを瓢に語りかけている場面が思い浮かぶ。