「晴耕集・雨読集」 1月号 感想          柚口  

インバネスの父に縋つて町へ出る石鍋みさ代
インバネスといっても若い人には何のことだか理解できないのではないかと思う。明治の初期に男性が和服の上にきた外套のことで日本では「二重廻し」とか「とんび」とかと呼ばれた。スコットランドのインバネス地方で着られたことがその由来らしい。 
  さて掲句は作者が幼い頃を回想して作った一句。カシミヤの外套を羽織った父上はお洒落な方だったのであろう。おさない子は父の大きな外套に縋って街に出るのが楽しみでしょうがなかったのだ。年を重ねるにつけあの父のインバネスが無性に懐かしい。同時に出された句に「佳き世かな昭和はじめのインバネス」もある。 
  余談になるがこの廃れたインバネス、俳句界では「銀化」主宰の中原道夫さんが愛好者で折につけその姿を見かけることがある。

結ひ組んで大型機械稲を刈る 阿部月山子

「結い」という言葉を知ったのは、その昔富山県の五箇山の合掌集落の屋根葺きを吟行した時である。小さな集落の屋根を葺くのに住民総出で助け合ういわば相互の援助集団が結いと呼ばれていた。
 その結いを詠んだ作品が掲句、こちらの作業は稲刈りである。ご存じのように最近の稲作は人手が足りずに結いがおおいに威力を発揮する。稲を刈るにも大型の稲刈機が何台か集結して短時間で作業が終結、あすは隣の家の稲刈りとなるのだろう。機械化が進んでも結いの力、恐るべしといったところである。

曼殊沙華朱のうすれゆく影もまた生江通子

 秋の彼岸の頃に咲く曼殊沙華、その花の在り様の一端を捉えた一句である。土手や畔に茎を出したかと思うと突然真っ赤な蕊の長い印象的な花を咲かせ、やがてその朱色が褪せて数日の間に消えてゆく。
 その忽然と朱色が消え去る僅かな不思議な時間を作者は「朱のうすれゆく影もまた」と表現した。幽霊花などと不名誉な別名もある曼殊沙華、野見山朱鳥は「曼殊沙華散るや赤きに耐へかねて」と詠んでいる。

秋晴の空とふれ合ふ水平線小野誠一

 秋晴れと一口に言っても初秋、仲秋の頃は天気が安定せず「男心と秋の空」といった有難くない諺があるぐらいで、すっきりとした青空が続くようになるのは晩秋頃である。
 そんな絶好の秋晴れの一日、作者は海に遊ばれた。そして紺碧の空と群青の海が触れ合う水平線の境界にえも言われない色の違いの美しさを発見された。どちらの青色が濃かったのかは判らないが、自然が作り出すその色合いを堪能されたのだ。

おやけふはべつたら市か東武線窪田明

 作者の窪田明さんはおそらく東京で開かれている句会に一番遠くから通ってくる人ではなかろうか。群馬県の太田市から東武線を利用して句会に参加、その熱心さには頭が下がる。
 その東武線での嘱目吟が掲句である。帰宅の電車に乗り込んできたのがべったら市帰りの人、あの白いべったらが入った袋をみるや「ああ、今日はべったら市であったのか」と頷いたのである。上五から中七にかけて肩肘を張らない詠み方が功を奏した。

指を発つ蜻蛉にある力かな平賀寛子

 微かに残る手の感触を一句に仕立てあげた感性豊かな作品である。澄みきった秋気の中、飛んできた蜻蛉が指にとまったのも一瞬、飛び上がったその力、その重力に確かな生命力を感じ取ったという。具体的な動きを提示することで読む方にもその感動が伝わってきた。この稿を書いているときに、しばらく休刊していた僚誌「あきつ」が届いた。平賀さんが代表を務めての再出発だという。再開をよろこびご発展を祈ります。

木の実独楽机上に留守の駐在所岸恒雄

 この句は木の実で作った独楽を詠んでいる。その独楽が留守の交番の机の上に置いてあったと写生する。何でここに、と思わせる省略が魅力だ。お巡りさんが作ったものか、迷子の子供が置いていったのか、いろいろと思い巡らせてくれる句も捨て難い。

浮雲の隙よりこぼれ小鳥来る窪田季男

 秋の季語に色鳥や小鳥というのがある。色の美しい鳥や山から里に下りてきた小鳥など、親しみを覚える素材である。 
句、浮雲の隙間から小鳥がこぼれてきたとの措辞が効いていて秋の空と小鳥の取り合わせが秀逸。

べつたら漬箱に収まるしなりやう望月澄子

 東京日本橋で10月に開かれるべったら市は恒例の風物詩。軽く塩漬けにした大根を米麴に漬けた甘い漬物、そのべったらがしなやかに箱に収まる質感を詠んだのがこの句。厚切りにした真っ白なべったらの歯触りや甘味までもが眼前によみがえるようだ。