今月の秀句 棚山波朗抄出
「耕人集」2018年5月号 (会員作品)

殉教の島の哀史や紅椿平向邦江

赤松の幹の艶めく今日雨水末重敏子

奪衣婆を担ぐをみなら針供養青木隆

春めくと話せる人の今は亡く鍋島こと

悠然と力満ちくる春の水菊井義子

鑑賞の手引き   蟇目良雨

殉教の島の哀史や紅椿
   俳句は「もの」で勝負する。この句の場合、キリシタン弾圧の歴史をもつ島を何をもって表現できるかが問われる。可憐な紅椿の美しさと、島に秘められている哀史のギャップが島の歴史を深く物語ってくれる。

赤松の幹の艶めく今日雨水
 24節季、72候は見えるものでなく、自分で意識しなくては作品に出来ない。作者は歳時記を丹念にチェックし、今日は「雨水」であることを確認して景色の中の変化を探ると、見慣れた赤松の幹が普段より艶めいていたことを発見し、「ああ今日が雨水なのだ」と実感した。時候を相手にする時はこちらから向き合わなければならない。

奪衣婆を担ぐをみなら針供養
 針供養に様々な種類の針を持ち込むことはよくある。この句は奪衣婆を担ぐ女を描く珍しいものだ。 奪衣婆は、三途の川の渡し賃とされている六文銭を持たずにやってきた亡者の衣服を剥ぎ取るとされている老婆。剝ぎ取った衣服を針を使って繕って誰かに施しをしていたのかなと想像してみた。作者の想像力が膨らんで一句になった。

春めくと話せる人の今は亡く
 「春めいて来たね」「あら、目白がやってきたわ」とつぶやく普段の何気ない会話を受け止めてくれる人の居ない寂しさは誰にも待ち受けている。人間は独りで生まれて来て独りで死んでゆく。信仰に頼れば同行二人ということもあるが私たちには俳句が語り合うことの出来る友である。

悠然と力満ちくる春の水
 「冬来たりなば春遠からじ」。天然の真理を確信した作者は冬の間力を無くしていた水が春になるや悠然と力満ちて来たことを確認した。万物が造化のもとで動いていることを知る作者の力強い一句だ。