春耕俳句会は、有季定型の俳句と和楽の心で自然と人間の中に新しい美を探求します。第五感・第六感を働かせた俳句作りを心がけます。
連載記事 - 月刊俳句雑誌「春耕」掲載

鑑賞 「現代の俳句」(108)2017年5月号

亀鳴くと小さな嘘のうつくしき    仁平勝[件]

子規の四季(80) 2017年5月号

病牀六尺、これが我世界である。しかも此六尺の病牀が余には広過ぎるのである。僅に手を延ばして畳に触れる事はあるが、布団の外へ迄足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。甚だしい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある。(中略)其でも生きて居ればいひたい事はいひたいもので、毎日見るものは新聞雑誌に限つて居れど、其さへ読めないで苦しんで居る事が多いが、読めば腹の立つ事、癪にさはる事、たまには何となく嬉しくて為に病苦を忘るゝ様な事が無いでもない。

衣の歳時記 (86) 2017年5月号

「産着」。季語ではないが、人間にとって記念すべき衣服の一つである。この世に生まれて初めて着る衣。清潔な晒木綿やガーゼで作られることが多い。襁褓と共に、誕生の喜びを込めて用意される。「産衣」とも書く。百日過ぎのお宮参りの晴着を含める場合もあるが、「初着」として区別するのが良いだろう。

伊勢物語の面白さを読む(34)2017年5月号

昔男にとってこの旅は、みずから選んだ流離であり、みずから選んだ試練であった。あるいはそれは、歌うことの未熟さによる敗北が招いた、失意の旅であったのかも知れない。他者との交感が実践されない時、心は閉じ、歌も閉じてしまう。しかし、いまやこの男は「ありやなしや」という、素朴でありながら、それゆえにこそ普遍的な、人への問いかけを試みるまでになったのだと思われる。そしてその問いかける歌の声こそが、その場の人々の深い共感を誘発させることになったのである。確かに「歌」なるものは、私たちの生活から遠ざかって久しい。しかし、他者との交感を導くものとしての「歌」の在り方は、今もなお、私たちの心に息づいているのではないだろうか。それこそ「言葉の力」「文学の力」と言い換えてもよいと思う。

はいかい漫遊漫歩(62)(63)2017年5月号

愛妻へ貧しさを詫びる反語句〈 無禮なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ 〉をタイトルにした初句集『無禮なる妻よ』が出たのは、昭和二十九年、夢道五十一歳のときだった。

自由時間 (47) 2017年4月号

昨年は夏目漱石没後百年にあたり、今年は生誕百五十年にあたる(1867年2月9日誕生、1916年12月9日死亡)。というわけで、いろいろな記念事業が行われている。 漱石が十五歳のとき約一年間在籍したことのある二松學舍は、漱石のアンドロイド(人型ロボット)を作り公開した。

曾良を尋ねて (92) 2017年4月号

『奥の細道』における「奥州平泉」の役割

鑑賞 「現代の俳句」(107)2017年4月号

眞筆の示す気骨や冬木立   加藤耕子〔耕〕

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