「晴耕集・雨読集」8月号 感想 柚口満
北斎の波の紺碧夏来る 升本榮子
いまに始まったわけではないが画家、浮世絵師、版画家葛飾北斎の人気が続いている。最近では東京の下町に新しい北斎の美術館が誕生したし、テレビでもその生涯がドラマ化されるなど話題にいとまがない。
この句の作者も北斎展で実際の作品をご覧になったのであろう。あの「北斎ブルー」とよばれる青色に感銘を受け夏の到来をも実感された。富嶽三十六景のなかの神奈川沖裏浪の波のブルーはまさに夏の到来を実感するにふさわしい一枚だったのかもしれない。
額ほどの棚田這ひずり手植かな 奈良英子
この句はよく読んでみると中七の「棚田這ひずり」との表現がありその部分に感じるものがあった。
棚田にもいろいろな田がある。この棚田は観光名所のようなものではなく、山間の斜面に張り付いたような過疎の里のそれではないだろうか。作業に従事するのは老人たち、もちろん田植機の入る余地のない狭い田を手植えでそれこそ這い蹲うような田植え風景。額ほど、這う、手植え等の語彙がいやがうえにも厳しい現実を提示しているようだ。
琵琶湖への水に逆らひ濁り鮒 杉阪大和
日本で最大の湖である琵琶湖、滋賀県の6分の1の広さを誇る。興味を引くのは四方の山々から注ぎ込む河川は沢山あるが、流れ出るのは1か所だけで、その川は瀬田川、宇治川、淀川と名前を変え大阪湾にいたる(京都に入る疎水は省く)。
余談になったが、この句は琵琶湖の鮒(主にニゴロブナ)が各々の河川の川上に向かって逆流するさまを詠んでいる。梅雨時に産卵のために水量が増した川を遡る様子は夏の到来を告げる風物詩でもある。前述のように琵琶湖からの各河川を一斉に上る濁り鮒を想像するだけでも爽快な気分になる。
暮れ切つてよりの水の香芒種なり 倉林美保
「芒種」という季語をよくわきまえて作られた一句。二十四節気のひとつ芒種は陽暦では6月6日ごろに当たり稲など芒(のぎ)のある穀物を播種する時期を指す。田植えなどもこの日から始まるところが多いとされる。
作者はそんな芒種の夕暮れから闇の帳が降りる頃の水辺に立ち、その水の香の濃さに改めて「今日芒種」の感を強めたのである。同時に出句されている「まつすぐな風吹いてくる植田かな」など農村の風景を詩情豊かに詠むのが得意なようだ。
一斉に喉のひしめく燕の子 塚本清
最近は燕の数が減ってきたという人が多い。かくいう私も町中の燕の数の激減に驚いている。巣をつくる場所がないからだろうか。
さて掲句は春に到来してきた燕が営巣して生まれた子燕を詠んでいる。中七の「喉のひしめく」の表現がうまい。子燕の顔や鳴き声などを省き、喉までみえる大きな口だけに特定したことが功を奏した。ひしめく喉は子燕のトレードマーク。
懇ろに下拵へや蕗料理 中島八起
この句の作者は料理に関しては万能ではないが結構凝り性のところがあり、庭の柚子でジャムを作ったり蕎麦打ちの名人でもある。
句にある蕗を用いた料理にも面倒な過程をいとわずに打ち込む入れ込みようと聞く。すなわち蕗の葉を一ずつブラシを使って懇ろに洗い、刻み込み鰹節等のダシで煮込んだものも18番とか。自分には料理を懇ろに作るなど到底その域には達せない。
大夕焼メコンの空と川を染め 小関忠彦
過ぎし日にベトナムを訪れたが、着く前にみた眼下の景色をこの句は思い出させてくれた。南下する飛行機からはベトナムの鬱蒼とした密林が広がり、その間をぬってメコンの大河が大蛇がのたうつ様に広がっていた。この句、おりしも大きな夕焼けが空全体を、また只でさえ褐色に濁るメコン河は真っ赤だったと詠む。
牛車踏む珊瑚立夏の音立てり 仲間文子
沖縄の仲間さんの一句。沖縄に行ったら是非乗ってみたいのが水牛の引く乗り合いの車。沖縄本島にもあるが、ここは竹富島や由布島など離島の牛車に乗ってみたい。作者は牛車が踏みゆく珊瑚の砂の道の音に沖縄の立夏を強く感じたという。やさしい海風を浴び牛車に乗りのんびりとひと日を過ごしてみたい。
大観の墨絵のぼかし梅雨に入る 松島徹
この作者は結構美術に関心を持たれているのか、絵画を題材にした俳句が散見される。
この句も横山大観の墨絵のぼかしを見て梅雨入りを実感されたようだ。大観は線の描写に頼らない朦朧体という画風を確立した人。ちなみに重文の「生生流転」は水墨技法のすべてが籠められているという。
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