「晴耕集・雨読集」 10月号 感想 柚口満
やませ吹く吾にも名無し塔婆にも伊藤伊那男
掲句の作者は7月上旬に俳誌「薫風」創刊35周年記念大会のゲストとして青森に招かれたが、今月号には「やませ風」と題して6句を出されている。
その中の一句がこの恐山での嘱目吟である。東北地方の太平洋側に吹き寄せる東寄りの風は別名凶作風、餓死風とも呼ばれ、ことに稲作には最悪といわれてきた。そのやませが吹く霊場には名の無い卒塔婆も多く手向けられ、本人にもその冷湿な風が吹きつけてきた。吾にも吹く、との実感が胸を打つ。
他に「恐山此岸より見る灼け地獄」「海鞘喰うて胸に露笛のやうなもの」があり収穫の多かった下北の旅を思わせてくれた。
夜濯ぎを終へて日本へ文を書く升本榮子
この句を読んで中村汀女の娘、小川濤美子の「それぞれの夜濯ぎをへて旅にあり」を思い出した。しかし掲句は海外での作であるところに眼目がある。長期の海外旅行ともなると洗濯をするのも大変だ。昼間は観光のスケジュールがびっしりと詰まり、夜は夜で観劇や食事が立て込むとなれば小物の夜濯ぎはおのずと深夜になってしまう。でもこの作者はこの作業を終えたあとに日本への手紙を書いた、というのだからその元気さには舌を巻く。バイタリティ溢れる明るい一句である。
アクセサリー余さず外し藍浴衣沢ふみ江
夏の夕方、涼風の立つ頃に糊の効いた浴衣を着るのは男、女を問わず夏の醍醐味のひとつである。
最近の浴衣は色合いや柄に随分と大胆で奇抜なものも散見されるようだが、やはり基調となるのは藍の浴衣である。
さてこの句は女性の目から見た浴衣観の一端を詠んでいるのではないか。身に付けるアクセサリー、例えばイヤリングやネックレスの類であろう。それらを余さず外して藍の浴衣を着たというのだ。確かに男が見ても目立つ装飾品は興醒めである。
狂ひなく儻網を引き寄す鮎釣師杉阪大和
私は小さい頃、鮎釣りに夢中になったことがある。故郷の近江には琵琶湖に注ぐ野州川があり、そこで大人達に混じって鮎と親しんだのである。
大和さんの句は友釣りを詠んだもので囮の鮎を使ってその縄張りの習性を生かした漁法である。慣れた鮎釣師は10㍍にもならんとする長尺の竿を使い激流の中で自由自在に竿を操る。特にこの句にあるように釣れた獲物を手元の小さな攩網に引き寄せるのは至難の業で狂いなく一発で収まるさまはまるで魔法にかかった感じである。作者も鮎釣りには一家言があるのであろう。極意の真髄の一瞬の技を見逃さなかった。
それなりの風を送りて古団扇武井まゆみ
団扇や扇といった煽いで涼をとる道具は電化製品の扇風機やエアコンに取って代り、その姿を見ることが少なくなった。
この句はその無用に近いものとなった古団扇を詠んだ一句である。読んでみて上五のそれなり、という言葉に含畜があることに思いつく。細い竹の骨は弾力を失い、貼られた紙のところどころには穴が開いてすっかり力をなくしてしまった古団扇、でも使ってみればそれなりの風を送ってくれたというのだ。古いものへの愛着心が面白く表された一句。
極暑かな立つも座るも声出して佐藤さき子
俳句人口を語るときにいつも出てくる言葉は高年齢化というもの。先日も仲間と吟行に出かけ6人と部屋を共にした。その生活の中で実感したのがこの句のような光景であった。起居のたびに出てくる「よいしょ」「どっこいしょ」「痛い痛い」の連発にお互い大笑いしたものだった。ましてや酷暑ともなれば尚更であるが声を出して楽になることの効用も見逃せない。
大盥はつらつ泳ぐ屑金魚橋本勝
屑金魚というからには神社のお祭りの夜店で掬ってきたものだろうか。雑種で何の変哲もない金魚を大きな盥に移したところ、文字通り水を得た金魚としてはつらつとして泳ぎ出したという。
狭い容器の中に何百尾とつめ込まれ酸素不足を強いられてきた金魚、今は人間の追っ手からも開放され盥から立派な水槽に引っ越して優雅な日々を送っているのかもしれない。
老鶯を遠音に最上川下る藤田壽穂
僚誌「雲の峰」では何回かに分けて奥の細道を辿る吟行会を開催されているがこの句もその一環として最上川で詠まれた一句。遠くからではあるが澄みきった夏うぐいすの声が川下りの舟に届き、その爽快感が手にとるようにわかる俳句である。船頭さんと歌う最上川舟唄の連衆の合唱が彷彿としてきた。
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