春耕俳句会は、有季定型の俳句と和楽の心で自然と人間の中に新しい美を探求します。第五感・第六感を働かせた俳句作りを心がけます。
連載記事 - 月刊俳句雑誌「春耕」掲載

曾良を尋ねて(119) 2019年7月号

去来に渡った『おくのほそ道』は去来没後、久米升顕、吹田凡遊、白崎琴路へと渡った。琴路は吹田家より譲り受けた素龍清書本を大切に保存し金ケ崎金前寺に句碑を建立。琴路亡き後、琴路の孫に西村孫「素龍清書本」が贈られ大切に保存され現在に至っている。

鑑賞「現代の俳句」(134)2019年7月号

へぎ蕎麦の波さみどりに雪解風 嶋田麻紀

枕草子のおもしろさを読む(26)2019年7月号

清少納言の人間観察 人の心のあり方② あまりかかわりのない人にまで、いたわりの一言をなげかけるような気の回し方は、よほど心の余裕がなければできることではない。たとえ、その場限りの言葉であっても、その言葉を口にしようと思いつくこと、それ自体が、ゆとりのない人間には「えあらぬこと(なかなかできないこと)」なのである。  

はいかい漫遊漫(114)(115)2019年7月号

平成時代が31年をもって幕を閉じた。この時代を回顧する本が次々に登場することだろう。その先陣を切り、予め定められた時代の区切りにタイミングを合わせて刊行されたのが、『俳句の水脈を求めて―平成に逝った俳人たち』(角谷昌子著 角川書店刊)。 〈 昭和を生き、平成に逝った26俳人の作品と境涯。彼らはどのように俳句と向き合い、何を俳句に託したか。そのひたむきで多様な生と、魂の表現としての俳句の水脈を探る。〉と帯文が謳う同書に登場の女性俳人は、飯島晴子、野沢節子、桂信子、中村苑子、細見綾子、津田清子、鈴木真砂女の7名。 俳句を始めたのは22歳で、松瀬青々の「倦鳥」に初入選し、同年投句の〈 来てみればほゝけちらして猫柳 〉が巻頭を取る。角谷の記述を引く。 〈 綾子は当時を振り返って、松瀬青々は「生きる魅力と涙」をよく知っている人物であり、師の「俳句の甘美」がなかったら、自分は俳句を作っていなかったと断言する。すべてのものが「空虚」かつ「蕭条」としてぽっかり虚無の口を開けている。そんななか、青々俳句の優しさは命を吹き込む泉の水だった。〉

韓の俳諧(5)2019年7月号

朝鮮国 通事の俳句(上) 朝鮮通事が読んだ俳句が残されている。上級の通事の場合は記録も残っているが、下位の通事はどの通信使の通事か記録がない。万葉仮名のような記述のため、句の読みが問題だ。

「俳句文法」入門 (5) 2019年7月号

「未然形」と「已然形」について

自由時間 (72) 2019年6月号

4月15日、パリのノートル・ダム(聖母)大聖堂が炎に包まれた。あの美しいステンドグラスのバラ窓も壊れたのかと心配したが、無事だった。焼け落ちたのは木造部分で、石造部分の損傷はそれほど深刻ではなかったようだ。91メートルの尖塔が崩れ落ちたときは悲鳴が上がったが、規模こそ違え、2001年9月11日のニューヨーク・ワールド・トレイド・センターの崩落を見ているときと同じような感覚に襲われた。このノートル・ダムに魅せられた日本人がいる。哲学者の森有正である。

曾良を尋ねて(118) 2019年6月号

『おくのほそ道』の素龍本が芭蕉の兄半左衛門から去来に渡り、現在敦賀市の西村家に秘蔵された経緯は不明である。公儀の内密の旅であった『おくのほそ道』の出版は危険な行為であった故去来にできるだけ先に延ばすよう、また素龍本は兄ではなく去来が持つよう指示していた。これらがすべて正解であったことは芭蕉の洞察力のすごさと言える。

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