春耕俳句会は、有季定型の俳句と和楽の心で自然と人間の中に新しい美を探求します。第五感・第六感を働かせた俳句作りを心がけます。
連載記事 - 月刊俳句雑誌「春耕」掲載

鑑賞 「現代の俳句」(120)2018年5月号

冬の山その謐けさを畏れけり 稲田眸子[少年]

はいかい漫遊漫歩(86)(87)2018年5月号

平成30年2月20日、98歳で逝った金子兜太の糟糠の妻であり、俳句の同志だった皆子。昭和63年に第1句集『むしかりの花』刊行後、右腎全摘手術をした平成9年に第2句集『黒猫』、兜太が『東国抄』で第36回蛇笏賞を受賞した同14年に第3句集『山査子』、死の2年前の同16年に第4句集『花恋』を上梓。

自由時間 (59) 2018年4月号

チッソは、1907年(明治40年)に水俣で操業を開始した。メチル水銀化合物を排出するアセトアルデヒド・合成酢酸設備の稼働を開始したのは32年、このときから排水を処理することなく水俣湾へ流す。不知火海の汚染が始まる。40年代から、周辺の住民の間で原因不明の奇病が発生し、50年代には、魚の浮上、猫の狂死、海鳥やカラスの落下などの現象が観察されるようになる。

枕草子のおもしろさを読む(12)2018年5月号

清少納言は、この章段を、おそらく筆をとって書き、筆を止めて思いつつしながら、この新しい「うつくしきもの」に到達したのであろう。そういう目で改めてこの章段を読み直すと、実におもしろく、清少納言の持つ固有で、鋭敏なことばの世界があざやかにひらかれていくような気がする。

曾良を尋ねて(104) 2018年4月号

八日間の山中温泉での長逗留の間も北枝は芭蕉の俳諧の核心である、不易と流行、さび、しおり、ほとみ等の教えを乞い「山中問答」に記録していた。一方曾良は北枝のおかげで一人で別行動をとる事が出来たと考えられる。

鑑賞 「現代の俳句」(119)2018年4月号

筆談の言葉は褪せず霜柱  陽美保子[泉]

枕草子のおもしろさを読む(11)2018年4月号

「うつくし」という語は、上代には、いとしいという意味でつかわれ、夫が妻に、親が子に愛情こめて抱く思いをいうことばであった。その意味が「うつくしむ」ということばに残り、この「うつくし」は、全体に、右のいとしいという下地の上に、もう少し客観的な「愛らしさ」を加味して使われているように思われる。そして更に、その客観的な愛らしさを「ちひさき」外形に結び付け、更に、小さいものの中でも、均整のとれたもの―かりのこ―、またはみごとな技巧の所産―瑠璃の壺―としての「うつくしきもの」、すなわち、今でいう美しいものへと導いている。

はいかい漫遊漫歩(84)(85)2018年4月号

絶滅のかの狼を連れ歩くーー三橋敏雄の第二句集『眞神』百三十句中の一句である。おおかみに蛍が一つ付いていたーー造型俳句、定住漂泊を唱え、反戦平和運動の側に居続けた金子兜太の句。

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