韓の俳諧(33)2021年11月号
2021年11月1日 韓の俳諧
京城在住の俳人たちが、五の日十の日に集まり句会を開いていた。自由律俳句が盛んだった。中村烏堂が『五の日十の日』という俳誌を発行したようだが残存していないようだ。句会の内容は、雑誌『朝鮮及び満州』に残されている。
「日本酒のこと」(11) 2021年11月号
2021年11月1日 日本酒のこと
「杜氏来る」はご存知のように冬の季語です。杜氏とは、日本酒造りの技能集団である蔵人(くらびと)を統括する役職のことです。毎年11月に入ると酒蔵には杜氏を筆頭に蔵人の集団がやって来ます。そして、寒造りの酒を搾り切った3月には集団で出身の故郷へ帰っていきます。
古典に学ぶ (99)源氏物語2021年10月号
2021年10月1日 古典に学ぶ
「瘧病」という語の意味するもの②・柏木の病と死 興味深いことに、藤壺、朧月夜、女三宮の密通に、桜が密接に関わっていることがいわれる。
はいかい漫遊漫歩(168)(169)2021年10月号
2021年10月1日 はいかい漫遊漫歩
勅撰集『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』の編纂者で『小倉百人一首』の選者として知られる鎌倉時代初期の歌人が、俳句(発句)も詠んでいたらしい。江戸俳諧考証家で、詩人、俳人の加藤郁乎著『俳諧志』(岩波書店刊)で著者は「門外俳句」の1項を設け、「上古誹諧」の収載句を紹介している。 松尾芭蕉は、野ざらし紀行の途次、貞享元年(1684)に名古屋に立ち寄った。その折に門弟になったのが、当地の富裕な米穀商、坪井庄兵衛こと杜国。俳聖が数多の門弟の中でも取り分け目をかけ、寵愛する弟子となる。ときに杜国27歳。40歳の芭蕉にとって一回り若い“いけめん”の弟子だった。
「俳句文法」入門 (32) 2021年10月号
2021年10月1日 俳句文法
俳句では 文語か口語か、その混合語かは永遠の問題だろう。文語のもつ格調、深みと落ちつき、口語のもつ親しさ、軽みと分かりやすさ、それらをブレンドして美しい日本語の文体を生み出す、のが理想だろう。
韓の俳諧(32)2021年10月号
2021年10月1日 韓の俳諧
明治41年創刊の雑誌「朝鮮」に、募集俳句の欄があった。京城の牛人や目池を中心としたオンドル会同人が選句にあたり、10日締切り翌月1日発行という速さであった。入選者の居所と本名も記載され、貴重な資料である。
古典に学ぶ (98)源氏物語2021年9月号
2021年9月1日 古典に学ぶ
「瘧病」という語の意味するもの① 「瘧病」という言葉の特殊性はやはり、前にも述べたように、源氏と藤壺、朧月夜との密会に 関する場面にのみ出現するのであって、あきらかにに意識的に使用される。