春耕俳句会は、有季定型の俳句と和楽の心で自然と人間の中に新しい美を探求します。第五感・第六感を働かせた俳句作りを心がけます。
連載記事 - 月刊俳句雑誌「春耕」掲載

はいかい漫遊漫歩

はいかい漫遊漫歩(178)(179)2022年3月号

寛文4年(1664)、伊勢山田の神官、秦師貞の娘として生まれた園女(そのめ)は、医師の斯波渭川(初号一有)と結婚。俳人でもあった夫、渭川の影響で俳句を始め、芭蕉が伊勢を訪れた貞享5年(1688)に夫婦で弟子入りし、本格的に活動をスタートさせた。 『暢気眼鏡』や『虫のいろいろ』など数多くの私小説作品を残した文化勲章作家、尾崎一雄が逝って39年が経つ。戦後期、『聖ヨハネ病院にて』などの “病妻”もので知られる上林暁と人気を二分する私小説(心境小説)作家であり、こちらは年若い妻、松枝との日々を描いた“芳兵衛もの”で読者を集めた。

はいかい漫遊漫歩(176)(177)2022年2月号

北原白秋門下の歌人、村野次郎を兄に持ち、荻原井泉水の『層雲』に拠って俳句の修行をした後、詩人の道を歩んだ村野四郎の俳句観を紹介する。  植物図鑑を繰っていると、目が釘づけになる珍名の花に出合うことがある。例えばタデ科の「秋の鰻攫(つかみ)」「継子の尻拭」、「牛の額(別名:溝蕎麦)」、どれも薄紅の小花が可憐な草花というのも面白い。

はいかい漫遊漫歩(174)(175)2022年1月号

黄金バット」の紙芝居作家、評論家、庶民文化研究家、時代考証家と多彩な肩書で活躍した加太こうじさん(1998年没、享年80歳)は、庶民的な味を愛した美食家だった。マグロは好物だったが、極上の赤身を良しとし、トロ、取り分け大トロは「人間の食うものじゃない」とけして口にしなかった。

はいかい漫遊漫歩(172)(173)2021年12月号

池波正太郎の江戸時代小説シリーズ『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』には、食い物屋と江戸の食べ物が数多く登場する。美食家と言われた作家ならではの筆さばきに、読者は唾を呑み込むことになる。

はいかい漫遊漫歩(170)(171)2021年11月号

2019年は、高浜虚子の没後60年。椿寿忌(4月8日)に因み、本欄の同年4月~6月号で虚子が戦後俳句をどう評価、鑑賞していたか、“肉声の記録 ”を復刻した『虚子は戦後俳句をどう読んだか―埋もれていた「玉藻」研究座談会』(筑紫磐井編著 深夜叢書社刊)を紹介した。 その際、洩れたが、高野素十、星野立子と言う虚子にとって“身内の俳人 ”を研究座談会の弟子たちの前でどのように評価していたか、2人に対する発言記録のさわりを書く。

はいかい漫遊漫歩(168)(169)2021年10月号

勅撰集『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』の編纂者で『小倉百人一首』の選者として知られる鎌倉時代初期の歌人が、俳句(発句)も詠んでいたらしい。江戸俳諧考証家で、詩人、俳人の加藤郁乎著『俳諧志』(岩波書店刊)で著者は「門外俳句」の1項を設け、「上古誹諧」の収載句を紹介している。 松尾芭蕉は、野ざらし紀行の途次、貞享元年(1684)に名古屋に立ち寄った。その折に門弟になったのが、当地の富裕な米穀商、坪井庄兵衛こと杜国。俳聖が数多の門弟の中でも取り分け目をかけ、寵愛する弟子となる。ときに杜国27歳。40歳の芭蕉にとって一回り若い“いけめん”の弟子だった。

はいかい漫遊漫歩(166)(167)2021年9月号

〈 深川・蛤町にある名刹〔永寿山・海福寺〕門前の豊島屋という茶店で出す名物の〔一本饂飩〕は、盗賊改方の長官・長谷川平蔵が少年のころから土地ではしられたもので、「おれが、本所・深川で悪さをしていた若いころには、三日にあげず、あの一本うどんを食いに行ったものだ」などと平蔵→〉 「ネギマ鍋(汁)」の鮪は、トロ、中トロが使われる。江戸時代の延享三年(一七四六)に書かれた手稿本「黒白精味集」の魚貝番付では上魚、中魚、下魚の三ランク中で鮪が鰯、鰊、鯖、河豚、泥鰌などとともに最下位「下魚」の位置づけだった.。

はいかい漫遊漫歩(164)(165)2021年8月号

〈 ロンドン滞在2年目の漱石はなぜか日記を残していない。この1年間(1920年)のことは日本にあてた書簡でしか知ることができず、…日記以外では、ロンドン時代のことを書いたエッセイが数編あり、当時の漱石をわずかではあるが知ることができる。それらのなかに「自転車日記」という興味深い一編がある。〉(清水一嘉著『自転車に乗る漱石』朝日新聞社刊)

はいかい漫遊漫歩(162)(163)2021年7月号

芸人ピース又吉こと芥川賞作家又吉直樹は、俳人堀本裕樹との共著『芸人と俳人』(集英社刊)の「まえがき」に書く。〈子供の頃から、俳句に対する憧れはあったものの、どこか恐ろしいという印象があり、なかなか手を出せないでいた。なにが恐ろしかったかというと、難しくて解らないことが恐ろしかった。…「定型ってなんやろう?」「季語ってなんやろう?」「や、かな、けり、って呪文かな?」という調子で、とにかく俳句が怖かったのである。〉 東京駅は2014年12月20日に開業100周年を迎えた。国鉄が6旅客鉄道会社と1貨物鉄道会社に分割、民営化されたJRは、2022年春に35年の歴史を刻む。大改革の陰で人知れず“職業往来”から消えて行ったのが赤帽。

はいかい漫遊漫歩(160)(161)2021年6月号

25音もある季語を見つけた。これは使ってみなければ、というので、「童貞聖マリア無原罪の御孕(おんやどり)の祝日(いわいび)と歳時記に」。これが私(正木ゆう子)の一番長い句。

はいかい漫遊漫歩(158)(159)2021年5月号

自作の江戸時代小説シリーズ『剣客商売』に登場する料理をまとめた池波正太郎著『庖丁ごよみ』(新潮文庫)で実作再現を担当した近藤文夫さん(銀座「てんぷら近藤」店主)は、同書に寄せて書く。〈病院にお届けし、先生に召し上がっていただいた最後の料理は海老とそら豆の天丼、それに豆腐の赤だしと蕪のお新香でした。海老はやや太めのが四本、これをみな食べて下さいました。亡くなる一週間前のことです。〉 日本橋にあった魚河岸の屋台で、揚げ立ての天ぷらを立食いで食べさせるようになったのは、江戸時代の初め。河岸で働く人々を相手に登場した握り寿司と同じで、仕事の合間に手っ取り早く腹を満たすファストフードだった。

はいかい漫遊漫歩(156)(157)2021年4月号

初鰹と言えば、まず浮かぶのが山口素堂の〈 目には青葉山ほととぎす初鰹 〉の句。俳句作法の禁忌である「季重ね」「三段切れ」を堂々と使った名句だ。

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