2024年4月(通算537号)
はいかい漫遊漫歩(228)(229)2024年4月号
2024年4月1日 はいかい漫遊漫歩
俳人・永田耕衣の最晩年について、宗田安正著『最後の一句――晩年の句より読み解く作家論』(本阿弥書店刊)から簡潔、要を得た報道記事的な名文を引く。 〈 平成7年(1995)1月17日午前5時46分、阪神・淡路大震災。神戸市須磨の永田耕衣上田荷軒は倒壊。耕衣が2階のトイレに入った直後だった。その狭い空間が幸いして奇蹟的に無事。閉じこめられ、傍らにあった湯こぼしの銅器で手洗い台を叩き、救いを求めた。そのうち調子が出てきて音にリズムまでつけていたという。気づいた近所の青年がトイレの窓から救出。階下の家人は重傷。耕衣自身は、2年半後の命終まで、終の栖になった大阪府寝屋川市の特別養護老人ホームに移った。〉このとき耕衣95歳。
古典に学ぶ (129)源氏物語2024年4月号
2024年4月1日 古典に学ぶ
「病」と「死」を物語はどう描いたか⑬ 藤壺の宮① 藤壺の宮は、先帝の第四皇女であり、この人が源氏の父帝の後宮に迎えられたのは、亡き桐壺更衣に面影が生き写しの美貌の人ゆえであった。
「俳句文法」入門 (62) 2024 年 4 月号
2024年4月1日 俳句文法
文中で上と下の文節をつなぐのが接続助詞である。単純接続と条件接続とがある。前者には「て」「して」「が」「つつ」「に」「を」「で」「ながら」等がある。後者には順接と逆接があり、それぞれ仮定条件と確定条件がある。
韓の俳諧(62)2024年4月号
2024年4月1日 韓の俳諧
臼田亞浪は1928年と1935年に、満鮮旅行として、中国東北部と韓半島への旅をした。京城には西村公鳳など三人の「石楠」同人がいたので、彼等が道案内や宿・句会の手配をした。当時は、特別急行東京と下関を1日がかりで結んでいた。さらに出帆は11時の関釜連絡船(当時は国内旅行)で、翌朝8時に釜山へ上陸した。