春耕俳句会は、有季定型の俳句と和楽の心で自然と人間の中に新しい美を探求します。第五感・第六感を働かせた俳句作りを心がけます。
連載記事 - 月刊俳句雑誌「春耕」掲載

はいかい漫遊漫歩

はいかい漫遊漫歩(154)(155)2021年3月号

『俳諧七部集』に収められた撰集の一つ『猿蓑』は、芭蕉の指名で向井去来と凡兆が編集に当たった。元禄4年(1691)、芭蕉が京都に滞在、監修した『猿蓑』の最高入集句は凡兆の41句で芭蕉の40句を上回った。

はいかい漫遊漫歩(152)(153)2021年2月号

俳人として評価を得始めながら、いずれも10年ほどの作句活動に自ら幕を引き、忽然と消息を絶った2人の女流俳人、藤木清子と鈴木しづ子。

はいかい漫遊漫歩(150)(151)2021年1月号

ぼく(沢木欣一)の俳句は加藤楸邨氏に俳句の土性骨を教えられたことから始まり、俳句の詩としての在り方を強く中村草田男氏から開眼され、詩の在り方の純粋さにおいて細見綾子より多くを学んだ。

はいかい漫遊漫歩(148)(149)2020年12月号

『ふらんす物語』『腕くらべ』『濹東綺譚』『断腸亭日乗』などの作品で知られる作家、永井荷風は、81年の生涯に800句を越える俳句を遺した俳人でもあった。

はいかい漫遊漫歩(146)(147)2020年11月号

歌人、藤原龍一郎=耽美派俳人、藤原月彦句も6句収載〈かたつむり辞書にのせれば辞書を這う〉

はいかい漫遊漫歩(144)(145)2020年10月号

〈 日本ではじめてのC級句集 駄句、この粋と恥。全113句、ツッコミ大合評会。山藤章二宗匠率いる雑排句会「駄句駄句会」の奇才・珍才。互いの辛口・甘口・大脱線批評を満載した傑作選!〉と“腰巻”に謳う珍本から珍句、迷句を抜き書きでご紹介。

はいかい漫遊漫歩(142)(143)2020年9月号

中年にして安東流火さん(註.本名、次男、詩人、俳人、評論家)から連句の手ほどきを受け、夷齋先生(註.作家、石川淳)にねだって玩亭といふ号をつけていただき、大岡信さんを宗匠格にして歌仙に興じるやうになった。ときどき発句が口をついて出るのも自然の成行だらう。それは前衛にあらず月並にあらず、誠よりは風懐を重んじ、齷齪(あくせく)と美を求めずして滑稽に遊ぶ志のもの。

はいかい漫遊漫歩(140)(141)2020年8月号

僕(註:歌人、岡野弘彦)は丸谷さんに生前に墓碑銘を書くことを頼まれたのですが、表が俳号の「玩亭墓」だけなんですよ。びっくりしました。ここまで丸谷さんは俳句に徹していたのかと。 1970年、詩人の安東次男さんが大岡信さんと丸谷さんという、当時の若手の二人に歌仙を巻こうと声をかけて、歌仙の会が始まりました。安東さんの没後に岡野さんが入られ、大岡さんが体調を崩されて僕(註:俳人、長谷川櫂)が入って、丸谷さんが亡くなって三浦雅士さんが加わり、今も月1回の頻度で続いています。

はいかい漫遊漫歩(138)(139)2020年7月号

うちの子でない子がいてる昼寝覚め   米朝(俳号八十八) この句は、落語界ではただ一人、文化勲章受章者の桂米朝さんが平成17年7月の東京やなぎ句会で詠んだものである。俳号の八十八(やそはち)は、言うまでもなく米朝の上一字を分解したもの。平成27年で46年の句会歴を誇る東京やなぎ句会の創設以来の唯一の関西同人だったが、90歳を目前に同年3月、亡くなった。   交(さか)る蜥蜴くるりくるりと音もなし 加藤楸邨  夏の季語の蜥蜴を詠んだ句は数多い。だが、今日では滅多に“その ”現場に居合わせ、目撃するチャンスのない「貴重な出逢い」に遭遇した幸運な(?)写生句が掲題句だ。  われわれが目にするニホントカゲ(トカゲ亜目トカゲ属)の交尾期は4月から5月で、繁殖齢(生後2~3年)の蜥蜴の雄、雌が出逢うと互いに頭部を愛咬し、合意となると楸邨句の描写のようにユーモラスな交尾が始まる。

はいかい漫遊漫歩(136)(137)2020年6月号

弁証法を定式化した哲学者ヘーゲル、ブルボン家の最後の王シャルル十世、森鴎外の歴史小説で知られる江戸末期の医師、考証家、書誌学者の渋江抽斎、東海道五十三次を描いた浮世絵師の歌川広重、徳川十三代将軍家定、「白鳥の湖」、交響曲第6番「悲愴」などの作曲家チャイコフスキーに共通の死亡原因は、コレラ。

はいかい漫遊漫歩(134)(135)2020年5月号

 1970年代、80年代にかけて、第1句集『王権神授説』(75年刊)から『魔都 美貌夜行篇』(89年刊)まで6句集を世に問い、俳句界を駆け抜けた藤原月彦の『藤原月彦全句集』(六花書林)が、令和と元号が変わった2019年夏に刊行された。

はいかい漫遊漫歩(132)(133)2020年4月号

 俳聖芭蕉に〈 門人に其角、(服部)嵐雪あり〉(『桃の実』)と言わせた蕉門十哲の筆頭俳人、其角は大酒飲みだった。“歴史探偵 ”こと半藤一利さんは自著『其角俳句と江戸の春』(平凡社刊)で〈人柄もひとしお変っていた〉と書き、文化13年(1816)刊行の『俳人奇人談』(竹内玄一著)から引く。「其性たるや、放逸にして、人事に拘らず、常に酒を飲んで、其醒たるを見る事なし。ある日ふと詩人の会筵に行合せ、人々苦心しけるを、其角傍に酔臥し、仰ぎ居たり。己れ一秒句を得たりと起きあがりていふ、仰ギ見ル銀河ノ底ト」 〈 七五三という言葉を、私は「ひちごさん」と読む。「しちごさん」とは、まず言わない。私にとって、七は「ひち」であり、「しち」は不快にひびく。〉〈 東京の政府は、「しち」に正統性をあたえている。国語辞典は、「しち」以外の読み方を、みとめない。「ひち」は方言でしかないことを、思い知らされたのである。〉(井上章一著『京都ぎらい』朝日新書)

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