春耕俳句会は、有季定型の俳句と和楽の心で自然と人間の中に新しい美を探求します。第五感・第六感を働かせた俳句作りを心がけます。
連載記事 - 月刊俳句雑誌「春耕」掲載

枕草子のおもしろさを読む(19)2018年12月号

「野分のまたの日こそ」(189段)の「をかし」の世界②このように、庭を眺める二人の女性を点出するが、それもその衣の色の一つ一つ、髪の具合とその姿態の一々を精細に書き留めており、『枕草子』の拡散する視野の生むものは、スケッチ風の世界である。一方『源氏物語』の「野分」の巻は、翌朝になってようやくおさまった野分が、一巻の背景として描かれていて、作者の卓抜な描写力が遺憾なく味わえる。

鑑賞 「現代の俳句」(126)2018年11月号

白鳥座の頸を射抜きて星流る 藤埜まさ志

はいかい漫遊漫歩(100)(101)2018年12月号

戦争が終って何年も経ってのことだが、パリでぼくはあるきっかけから、フジタの信頼を受けるようになった。身近に接してみると、この巨匠はおそろしくお人好しだ。それは信じられないくらいで、蔭で夫人がだんだん人嫌いになるのも分かる。あんなにも利用されたり、傷つけられ、金銭を騙し取られるのを見ていると、ぼくでさえ、いらだつ。 日本国籍を返上、フランス国籍を取ったレオナール・フジタは、「私が日本を捨てたのではない。日本に捨てられたのだ」とよく語っていたという。 〈 私は、世界に日本人として生きたいと願ふ、それはまた、世界人として日本に生きることにもなるだらうと思ふ。〉(藤田嗣治『随筆集、地を泳ぐ』より)

曾良を尋ねて(111) 2018年11月号

上野を発った曾良は一人で江戸に向かった。桑名から船に乗り翌11日伊勢長嶋に着く。ところが12日から21日までの十日間の記述がなく、その間長嶋に滞在していたものと思われる。

枕草子のおもしろさを読む(18)2018年11月号

─ 「長月ばかり」(125段)②・「野分のまたの日こそ」(189段)の「をかし」の世界① ─ 作者の関心は、日常とは違う景観を現出した風の力の働きなのである。そして、その視覚の働きは、めまぐるしく、知的にその結果の一つ一つを追い、拡散していく視野を生み出すようなスケッチ風な優れた筆法である。また、台風の猛々しさと、その繊細さを「あはれにをかし」ととらえた清少納言の感覚に魅せられてしまうのである。

はいかい漫遊漫歩(98)(99)2018年11月号

雨模様の平成30年9月1日、上野の東京都美術館に出かけ、「没後50年 藤田嗣治展」を見た。主催者が「史上最大級の大回顧展」と銘打つに相応しい120点に及ぶ名作、力作を揃えた見応えある回顧展だった。コラム子を上野に駆り立てたのは、エコール・ド・パリの寵児のひとりであった画家の半世紀を越える優れた画業を辿るだけではなく、出品されている二点の100号、200号の戦争記録画の大作「アッツ島玉砕」「サイパン島同胞臣節を全うす」をこの眼で実見することだった。 二つの大作は、どちらも茶褐色の暗い色調の画面いっぱいに前者は日本兵、後者は一般人の男や女、子供、嬰児が犇めき命を絶つ壮絶な地獄絵図だった。その前に立った来場者の誰もが息を止め、後ずさりする凄惨な画面。この一角だけ前に立った人の多くが急ぎ離れて行った。

自由時間 (65) 2018年10月号

鼓が滝  むかし、摂津の国に鼓が滝という名所があった。若かりし西行が訪れ、松の根方に座り、一首詠もうとあれこれ思案した。

曾良を尋ねて(110) 2018年10月号

曾良は伊勢神宮の参拝を終えた芭蕉一行とは別行動をとり熱田神宮の修復に貢献した長岡為麿や荷兮や大垣で別れた越人らを訪ねたと言われている。そして一か月ぶりに芭蕉と再会を喜ぶ。

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