はいかい漫遊漫歩
はいかい漫遊漫歩(58)(59)2017年3月号
2017年3月1日 はいかい漫遊漫歩
三島由紀夫は 昭和15年には、母方の祖父の友人である詩人、川路柳虹に師事、俳句誌『山梔』に俳句と詩の投稿を1年半ほど熱心に続ける。このときから綽名をもじって平岡青城の俳号を名乗り、小説『潮騒』を発表する昭和29年ころまで俳句を詠んでいた。 俳句誌『俳句界』編集長の林誠司さんが、ブログ「俳句オデッセイ」で披露しているエピソード。〈 …兜太がまだ壮年の頃、師である加藤楸邨へ年賀状を送った。年賀状を読んだ楸邨は驚いた。そこには新年の挨拶があり、その脇に「男根隆々たり」という言葉が一筆添えられていたのである。…
はいかい漫遊漫歩(56)(57)2017年2月号
2017年2月1日 はいかい漫遊漫歩
“俳句の神様 ”が一人の俳趣味の男を動かし、俳句史から抜け落ちるところだった“放浪俳人”井上井月を発掘した。男の名は、長野県伊那出身の文人医師、下島空谷(本名勲 1870―1974)。1927年7月に自死した芥川龍之介を看取った主治医である。ちなみに芥川は死の直前、空谷宛てに〈自嘲 水洟や鼻の先だけ暮れ残る〉と書いた色紙を遺した。
はいかい漫遊漫歩(54)(55)2017年1月号
2017年1月1日 はいかい漫遊漫歩
改革や革新を大きなうねりに乗せるには、インパクトのあるキャッチフレーズが必要だ。俳句革新をめざした正岡子規が使った“殺し文句”は〈 天保以後の句は概ね卑俗陳腐にして見るに堪へず。称して月並み調といふ 〉だった。
はいかい漫遊漫歩(52)(53) 2016年12月号
2016年12月1日 はいかい漫遊漫歩
急逝の数時間前に筆を置いた文字通りの絶筆を巻末に収めた野坂昭如さん最後の著書『絶筆』(新潮社刊)は、闘病十二年余の間に口述筆記で書き上げた三つの公開用リハビリ日記と九編のエッセイからなる379ページに及ぶ“大作 ”。
はいかい漫遊漫歩(50)(51) 2016年11月号
2016年11月4日 はいかい漫遊漫歩
詩人、清水哲男さんが1996年に開設したウエブサイト歳時記『増殖する俳句歳時記』が20年を節目に終了。搭載句7306句。一般的な俳句歳時記は季語の短い説明と例句の校正だが、『増殖する俳句歳時記』は搭載句全句鑑賞付きが特長。
はいかい漫遊漫歩(48)(49)2016年10月号
2016年9月21日 はいかい漫遊漫歩
映画「男はつらいよ」の寅次郎俳優、渥美清(俳号風天)の句碑〈 お遍路が一列に行く虹の中 〉 JR松山駅の駅頭に正岡子規の〈春や昔十五万石の城下かな〉の大句碑
はいかい漫遊漫歩(46)(47)2016年9月号
2016年8月24日 はいかい漫遊漫歩
加賀千代女(1703-1775)、谷口田女(1713-1779)、豊田屋哥川(1716-1776)は、江戸時代中期に加賀、江戸、越前にあって、ほぼ同時期に活躍した女流俳人。
はいかい漫遊漫歩(44)(45)2016年8月号
2016年7月22日 はいかい漫遊漫歩
第44話は辻井喬のオーラルヒストリーで語った中曽根康弘元首相の俳句。第45話は泥鰌(どじょう)屋が「どぜう屋」と称するようになった話。
はいかい漫遊漫歩(40) (41) 2016年6月号
2016年7月2日 はいかい漫遊漫歩
コラム「はいかい漫遊漫歩」 松谷富彦 第40話 紅葉燃ゆ旅立つ朝の空(くう)や寂 寂聴 1973年、天台宗東北大本山中尊寺で大僧正、今春聴(作家、今東光)を師僧に得度した作家、瀬戸内晴美は、法名を師 …
はいかい漫遊漫歩(36)(37) 2016年4月号
2016年7月2日 はいかい漫遊漫歩
変哲こと俳優、エッセイストの小沢昭一さんの俳句について触れる。 第2回例会に出した一句〈 陰干しの月経帯や猫の恋 〉を終生の自賛句と言って憚らなかった。写真館の長男で東京っ子。旧制麻布中学で句会仲間の大西信行、加藤武と同級生。ほかにフランキー堺、仲谷昇、なだいなだらがいた。