春耕俳句会は、有季定型の俳句と和楽の心で自然と人間の中に新しい美を探求します。第五感・第六感を働かせた俳句作りを心がけます。
連載記事 - 月刊俳句雑誌「春耕」掲載

古典に学ぶ

枕草子のおもしろさを読む(23)2019年4月号

 清少納言の宮仕え必須論の随想として有名な章段がある。第22段「生(お)ひさきなく、まめやかに」である。宮仕えには否定的な口ぶりの紫式部と対蹠的であるというのも興味深い。

枕草子のおもしろさを読む(22)2019年3月号

「正月十余日のほど、空いと黒う」章段(138段)は、空模様から描写は始まり、地上へと目を移すと、「えせ者の家のあら畑」が広がっている。「えせ者」とは具体的にはどんな人なのかはわからないが、貴族ではあっても土着性の濃厚な人をいうのであろう。

枕草子のおもしろさを読む(21)2019年2月号

【生き生きと描かれた子供達の風景①】子供達が、実に生き生きと登場する章段がある。次の138段である。冒頭の、正月十余日とは、太陽暦の二月の中ごろであろうか。この時期は、冬型の気圧配置が変わり始める頃で、ここにあるような、厚い雲が空を暗くしている一方で、日差しは雲の切れ目からさしこんでくる。その中で展開される子供たちの騒ぎが聞こえてくる。

枕草子のおもしろさを読む(20)2019年1月号

【 三つの散文詩の魅力】無駄なことばは一語とてない。感覚の鋭さといい、文章の簡潔さといい、『枕草子』の特徴の最も凝縮されたすぐれた一段と思われる。これら三つの短小な章段には、清少納言の軽妙な筆と着想の妙に心ひかれる。また、対象の最も単純化されたものがこうした短章段に結晶する。それはほとんど作者の文章の生理の結果のようなもので、爽快な印象ももたらされる。

枕草子のおもしろさを読む(19)2018年12月号

「野分のまたの日こそ」(189段)の「をかし」の世界②このように、庭を眺める二人の女性を点出するが、それもその衣の色の一つ一つ、髪の具合とその姿態の一々を精細に書き留めており、『枕草子』の拡散する視野の生むものは、スケッチ風の世界である。一方『源氏物語』の「野分」の巻は、翌朝になってようやくおさまった野分が、一巻の背景として描かれていて、作者の卓抜な描写力が遺憾なく味わえる。

枕草子のおもしろさを読む(18)2018年11月号

─ 「長月ばかり」(125段)②・「野分のまたの日こそ」(189段)の「をかし」の世界① ─ 作者の関心は、日常とは違う景観を現出した風の力の働きなのである。そして、その視覚の働きは、めまぐるしく、知的にその結果の一つ一つを追い、拡散していく視野を生み出すようなスケッチ風な優れた筆法である。また、台風の猛々しさと、その繊細さを「あはれにをかし」ととらえた清少納言の感覚に魅せられてしまうのである。

枕草子のおもしろさを読む(17)2018年10月号

「九月(ながつき)ばかり」(128段)の「をかし」の世界①台風が南岸はるかを東に通り過ぎたのか。本州にかかっていた前線が刺激されて、昨夜はよく雨が降った。今朝はいつもよりも一層まぶしい朝。こういう時、清少納言は実に楽しそうである。  こんな光景を描いた「長月ばかり」(128段)という随想章段がある。「長月」とあるが、もちろん陰暦だから、秋の終わりであり、そろそろ朝晩の冷気も身にしみるころである。一読して、全体がキラキラ光っているような印象を受ける優れた叙景文である。

枕草子のおもしろさを読む(16)2018年9月号

【夏の色、そして「心ざし」の色②】この赤い薄様の手紙の内容は、どんなものであったのか、気になるところである。恋文か、暑中見舞いの挨拶文であったかもしれない。美しく咲いた唐撫子を結びつけた手紙から、大切に思う相手への心が読みこまれていたとも思われる。

枕草子のおもしろさを読む(15)2018年8月号

夏という季節と赤色との組み合わせは、中国思想の、宇宙の万物を作る木・火・土・金・水という五つの元素に基づく陰陽五行に関わるものであることは、すでに貴族社会で共有された知識と教養であったろう。古代の知識を基盤として、その共同幻想としての夏の色と赤のイメージがここに共有されたのである。このような観念的な色彩感覚も、『枕草子』世界を構築する要素の一つと思われる。

枕草子のおもしろさを読む(14)2018年7月号

京都の夏は格別に暑いと言われる。風の出入りが少なく、あっても昼間は大阪平野から吹き込む暑い南西風となる。この地形による京都特有の蒸し風呂のような暑さは、平安の昔からほとんど変わることがないという。『枕草子』には、盛夏の暑さを描いた章段がいくつかある。その中で、ひときわ異彩を放つ「いみじう暑きころ」(208段)という章段がある。

枕草子のおもしろさを読む(13)2018年6月号

この「うつくしきもの」章段の子どもたちは、まだ、人見知りをしない赤ちゃん、4、5歳の女の子、6、7歳の殿上童、そして学問をはじめたばかりの、変声期以前の男の子の愛らしさをそれぞれに描き分けて行く清少納言は、子ども好きの一面を持っていたらしいことが知られる。しかも、その筆法は、簡潔で、生き生きととらえられていて、実にみごとであると思われる。

枕草子のおもしろさを読む(12)2018年5月号

清少納言は、この章段を、おそらく筆をとって書き、筆を止めて思いつつしながら、この新しい「うつくしきもの」に到達したのであろう。そういう目で改めてこの章段を読み直すと、実におもしろく、清少納言の持つ固有で、鋭敏なことばの世界があざやかにひらかれていくような気がする。

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