春耕俳句会は、有季定型の俳句と和楽の心で自然と人間の中に新しい美を探求します。第五感・第六感を働かせた俳句作りを心がけます。
連載記事 - 月刊俳句雑誌「春耕」掲載

古典に学ぶ

枕草子のおもしろさを読む(18)2018年11月号

─ 「長月ばかり」(125段)②・「野分のまたの日こそ」(189段)の「をかし」の世界① ─ 作者の関心は、日常とは違う景観を現出した風の力の働きなのである。そして、その視覚の働きは、めまぐるしく、知的にその結果の一つ一つを追い、拡散していく視野を生み出すようなスケッチ風な優れた筆法である。また、台風の猛々しさと、その繊細さを「あはれにをかし」ととらえた清少納言の感覚に魅せられてしまうのである。

枕草子のおもしろさを読む(17)2018年10月号

「九月(ながつき)ばかり」(128段)の「をかし」の世界①台風が南岸はるかを東に通り過ぎたのか。本州にかかっていた前線が刺激されて、昨夜はよく雨が降った。今朝はいつもよりも一層まぶしい朝。こういう時、清少納言は実に楽しそうである。  こんな光景を描いた「長月ばかり」(128段)という随想章段がある。「長月」とあるが、もちろん陰暦だから、秋の終わりであり、そろそろ朝晩の冷気も身にしみるころである。一読して、全体がキラキラ光っているような印象を受ける優れた叙景文である。

枕草子のおもしろさを読む(16)2018年9月号

【夏の色、そして「心ざし」の色②】この赤い薄様の手紙の内容は、どんなものであったのか、気になるところである。恋文か、暑中見舞いの挨拶文であったかもしれない。美しく咲いた唐撫子を結びつけた手紙から、大切に思う相手への心が読みこまれていたとも思われる。

枕草子のおもしろさを読む(15)2018年8月号

夏という季節と赤色との組み合わせは、中国思想の、宇宙の万物を作る木・火・土・金・水という五つの元素に基づく陰陽五行に関わるものであることは、すでに貴族社会で共有された知識と教養であったろう。古代の知識を基盤として、その共同幻想としての夏の色と赤のイメージがここに共有されたのである。このような観念的な色彩感覚も、『枕草子』世界を構築する要素の一つと思われる。

枕草子のおもしろさを読む(14)2018年7月号

京都の夏は格別に暑いと言われる。風の出入りが少なく、あっても昼間は大阪平野から吹き込む暑い南西風となる。この地形による京都特有の蒸し風呂のような暑さは、平安の昔からほとんど変わることがないという。『枕草子』には、盛夏の暑さを描いた章段がいくつかある。その中で、ひときわ異彩を放つ「いみじう暑きころ」(208段)という章段がある。

枕草子のおもしろさを読む(13)2018年6月号

この「うつくしきもの」章段の子どもたちは、まだ、人見知りをしない赤ちゃん、4、5歳の女の子、6、7歳の殿上童、そして学問をはじめたばかりの、変声期以前の男の子の愛らしさをそれぞれに描き分けて行く清少納言は、子ども好きの一面を持っていたらしいことが知られる。しかも、その筆法は、簡潔で、生き生きととらえられていて、実にみごとであると思われる。

枕草子のおもしろさを読む(12)2018年5月号

清少納言は、この章段を、おそらく筆をとって書き、筆を止めて思いつつしながら、この新しい「うつくしきもの」に到達したのであろう。そういう目で改めてこの章段を読み直すと、実におもしろく、清少納言の持つ固有で、鋭敏なことばの世界があざやかにひらかれていくような気がする。

枕草子のおもしろさを読む(11)2018年4月号

「うつくし」という語は、上代には、いとしいという意味でつかわれ、夫が妻に、親が子に愛情こめて抱く思いをいうことばであった。その意味が「うつくしむ」ということばに残り、この「うつくし」は、全体に、右のいとしいという下地の上に、もう少し客観的な「愛らしさ」を加味して使われているように思われる。そして更に、その客観的な愛らしさを「ちひさき」外形に結び付け、更に、小さいものの中でも、均整のとれたもの―かりのこ―、またはみごとな技巧の所産―瑠璃の壺―としての「うつくしきもの」、すなわち、今でいう美しいものへと導いている。

枕草子のおもしろさを読む(10)2018年3月号

一四三段「いやしげなるもの」(見た目に下品なもの)は式部の丞の笏、黒い髪の筋が良くないの、布屏風の新しいの、引戸厨子、坊さんのふとっているの、本物の出雲筵の畳のである。気品があってうつくしい美を「なまめかし」とすると、気品がなく、魅力のないものが「いやしげなるもの」である。

枕草子のおもしろさを読む(9)2018年2月号

『枕草子』類聚章段の中で、「~げなるもの」という題詞を持つ章段がいくつかある。「暑げ」「恐ろしげ」「いやしげ」などと、おおよそ不快や卑賤な対象から身を引きつつ、再び興味を寄せるという、距離のある関心の表明のあり方である。不快でありながら、どこか憎めない、奇妙に親密な苦笑のようなものがこれらの章段を性格づけている。

枕草子のおもしろさを読む(8)2018年1月号

この「草の花は」の末尾の描写に、「これに薄を入れぬ、いみじうあやしと人いふめり」とあるのは、著作態度を考慮する点で興味深い。・・・・・このように、薄について言及する口調はとてもおかしくもある。

枕草子のおもしろさを読む(7)2017年12月号

秋の野を通じてのおもしろさというものは、まさに薄にこそあるのだ。穂先が黒みを帯びた赤色で、とても濃いのが、朝露に濡れてなびいているのは、これほどすばらしいものがほかにあろうか。

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